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大切なことは死生観にあったー祖父からもらった最後のギフトー

ある日slackにメモした、自分なりに考えたい、ここからのテーマの一つ

【死生観】

「死」への意識

昨年秋に祖父を亡くしてから、「死」ということについて考える時間が生まれた。

身内の死であり、自分の存在に対する影響が大きかった人が亡くなることは、感性レベルでかなりくるものがあった。わけわからないけど、溢れてくる涙がそれを物語っていた。

そしてまた、4月に独立してから、どう自分の時間を使うのかということ、つまりどう死ぬのかということについて考える時間が増え、度重なる芸能人の死やプライベートでもいろんなことがあり、「死」を頭の片隅で意識することが増えていった。

ちなみに度重なる死について、感情を押し殺していたけど、結構傷ついていた。

「死ぬ」ってなんだろう

自分が死ぬってどんな意味があるんだろう。

三浦春馬さんの死をTwitterでみて強く考えたことだった。「自分の死」の価値。生きる価値はよく考えるけれど、死の価値を考えることはあまりなかった。

今この場で自分がいなくなったとして、社会は回るし、周りの人は生きているし、悲しみにくれる人がいたとしても、それがどんな重みなのか全然自信がない。

そんな中浮かんできたのが、

「今死んだらどのくらいの人が自分の葬式に来てくれるんだろう?」

という疑問だった。

中高の友達、大学の友達、仕事の人たち、社会人になってから出会った友達
社外で繋がった人たち、親戚、家族

その中には、
自分の死を悲しんで来る人や、付き合いで来る人様々・・・なんだろう

『「高橋 奎が死んだ」ということに
興味を持つ人はどのくらいいるんだろう?』

それを想像した時に、好奇心と、想いに満ち、そして自然と涙が溢れてきた。

たくさんの顔が浮かんできたからだ。

今、死ねるか?死んで後悔ないか?

そんなことを再度問いた時に、【悪くないかもしれない】とすっと出てきた。

今まで深く繋がった仲間の顔がたくさん浮かんできたからだ。死んでも、葬式は幾分かの涙と、自分自身への想いと、自分自身をテーマにした話と、そしてそこから生まれる繋がりがあるのではないか。

それこそ、生きた証が十分に今でもあるかもしれないと思う。

とはいえ、申し訳なさもたくさんある。たくさんもらってきたのに、お返ししきれていないこと。それは特に両親と祖父母と兄、今まで自分を育ててきてくれた人たちに対して。このまま死んだらそれは申し訳ない。

この葛藤にモヤモヤしつつ、今死ぬとしたらどうか?と問いを立てれば、

怖い

だった。

生きていたことを知っていて欲しい、忘れて欲しくない

僕が生きていたことを多くの人に知っていて欲しい。
生きてたことを忘れられたくない

そんな気持ちがあることを見つけた。

でもそれは、芸能人のように大衆に知られたいのではない。一緒にコトを為したり、飲みに行ったり、話したり、そういう【共有】をした人だと、そんな風に一人一人の人生の中に自分がいたい。

この自分勝手にありがとうと言ってもらえる関係性を創り続けていたい。

なんで生きるんだろう?

そこですっとたった問いが、「なんで生きるのか?」

それはお金を稼ぐためでも、人からすごいって言われるからでもやっぱりない。

人と共有できることを増やすことで、
自分が他者の人生にポジティブな影響を与えられる機会が増やすためだ。

だとしたら、

金銭などの目に見える価値は横に置いて、自分の意思を持って、目の前の人に貢献することをただ続けていくこと、それが回り回って資本主義経済的な豊かさにつながることを目指していきたい。

祖父の死の間際、祖父に伝えられなかったこと

祖父の死の間際。最後に祖父から伝えられた言葉に僕は何も返すことができなかったことをとても悔いている。

20歳後半で病院経営で起業した祖父は、医療は言うまでもなく、医療業界以外にも多くの功績をもち、多くの人に貢献してこの世を去った。

そんな祖父と僕は少しギクシャクした関係だった。医者を継ぐことが責務のようなところもあったが、それを僕が拒んでいたからであり、僕は対話することを高校から大学時代まで数年間嫌っていた

そんな関係性が整理されたのは、亡くなる1年前ほどから。少しずつ深く関わりを持つようになった。

そんな祖父と、最後に話した日。

「けいは仕事で何をしているんだ?」

と尋ねられたことから話が始まった。丁寧に仕事について話したけれど、うまく伝わらなかった。
それでも、何かを汲み取ったのか、20代後半病院を起業し、それからどんな苦悩と葛藤を経て、経営してきたのか、伝えてくれた。

その上で、最後に伝えてくれた言葉に涙が止まらなくなった。

「Going my way」「自分が信じる方向に自由に生きろよ」
医者になる責務を果たせず、申し訳ない気持ちだった自分。
自ら道を切り開いてチャレンジする自分。
最後に自由に生きろと言ってくれた祖父の大きさ。。。

いろんなものに背中を押され、その場でグッと涙と鼻水を抑えた。

そして、伝えた。

「またね」

祖父の家を出た。本当はもっと伝えたかった。

「ちゃんと向き合って来なくてごめんなさい」
「ありがとうございました」

本当はちゃんとめんど向かって、言いたかった。届けたかった。でも伝えることができなかった。

医者家系に生まれたことでの葛藤と苦悩を持つ自分を肯定したいという、しょうもない惨めな自分が邪魔をした。

そんな惨めさもあいまり、帰宅しながら大号泣した。

これが僕の祖父との最後の会話になった。

僕はこれを悔いている。本当に心から悔いている。

大切な人には大切に思っているって伝えるんだ

あれから1年経とうとしている。

あの瞬間を悔いるのではなく、学びとして捉えるのなら、

大切な人には大切に思っているよ

と、伝えることが自分にとってはとても大切なことだということ。

ありがとうとごめんね。それをちゃんと伝えることをいつも大事に生きていたい。

そしてまた一つ。

環境に向き合い人のために何ができるか考える

そしてもう一つ、自分の弱さを自覚したのは、環境への甘えと言い訳。

僕はとても幸せで、とても環境に恵まれていた。医者家系の苦悩は自分が環境に対して向き合えなかった言い訳だと思う。

日々目の前に対して何ができるのか、そこに貪欲であれる自分でいたい。

環境に向き合い人のために何ができるのか考える

死生観に向き合ってみて

死生観に向き合ってみて、

成長したことも、しなかったことも様々だけれど、今やっと向き合いたかった瞬間に向き合うことができた。

祖父の死のことを思い返し、号泣しながら書くこのnoteを世に放つことができるくらいに受け入れられてきた。

そしてまた、自分がどう死にたいのか、そしてどう生きたいのか?大切なことがたくさん見えた。

自らの死生観という物に、ぜひお読みいただいた方も触れてみて、そして、思うことがあれば周りの人や僕と話し、自分が大事にしたいことや、これからどう生きたいのか?見つめてみてはいかがでしょう?

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