伊藤 慧

ひろせJFC→ベガルタ仙台Jr.ユース→ベガルタ仙台ユース→城西国際大学体育会サッカー…

伊藤 慧

ひろせJFC→ベガルタ仙台Jr.ユース→ベガルタ仙台ユース→城西国際大学体育会サッカー部/GK/私が伝えたいことを書きます。

最近の記事

ゼロモチベーション 〜感情に左右されないパフォーマンス〜

『ゼロモチベーション』 あなたはこの言葉を聞いたことがありますか? と言って、私があたかも自分で考えたかのように問いかけているのですが、もちろん違います。 ある有名な経営者の方がこの「ゼロモチベーション」について話していて、とても感慨深いと思ったのでこのnoteに書こうと決めました。 前置きはこんなもんにして、さて本題に入ります。 そもそも「ゼロモチベーション」とはどういうことか。 意味を検索してみると、モチベーションは「人が何かをするときの動機付けや目的意識」とありま

    • 東京に残る理由

      現在大学4年生で3月に大学を卒業します。 卒業後の進路は夏頃に決まって、東京に就職することになりました。 私自身FC起業をして早1年。 うまく売れ行きをあげられていない現状がある中で、自社を一本に絞って活動していくか、就職をした上で今と同じく副業として続けていくかを悩んでいました。 ここでパッと分からない方のために簡単に私を説明すると、大学3年時の10月1日にFC(フランチャイズ)起業をしました。 職種はオーダーメイドスーツ。 斜陽産業と謳われるスーツ界の道に飛び込んだの

      • 第2の人生の幕開け

        久しぶりの投稿となりました。 「第2の人生の幕開け」 規模感が大きすぎるようなタイトル。 まず私の言う「第1」というのはサッカー人生を指します。 その青春の全てを懸けてきたサッカーを引退しました。 と言っても10月初旬の話なので、もう2ヶ月が経ちますが、、、(12月10日現在) この15年間のサッカー人生を振り返ってみると、本当に私の全てだったと改めて思います。 朝起きて常にその日の練習、週末にある試合のことばかり考えて、生活もサッカーに支障のないように生きてきました。

        • 過去の失敗が成功を生む

          だいぶ久々の投稿になりました。 この”いかにも”のような題名の投稿を見て何人がクスッと笑っただろう。 私もこんなクサイ題を聞いたら何言ってんだと笑ってしまうに違いない。 さて今回「過去の失敗が成功を生む」とはどういうことなのか、思いのまま綴っていこうと思う。 単刀直入に私は様々な失敗をしてきた。 学校関係で言えば、教室で靴飛ばしをしてクラスの女の子に当ててしまい、泣かせてしまったこと。 台風が来るというニュースから休校というデマをSNSなんかに書き込み、他校までも

        ゼロモチベーション 〜感情に左右されないパフォーマンス〜

          強くなった自分 〜自粛期間を経て〜

          久々の投稿になりました。 写真は大学の練習が再開した際に、走るためだけにグループ分けされたチームです。 普段分けられているA.Bの隔がなくみんなで1週間走り切った後の1枚。 6月も末に向かおうとしている今、新型コロナウイルスの第二波の恐れは未だ残るが、緊急事態宣言が解除されるほどまで落ち着いた。 この緊急事態宣言によって外出を制限された2ヶ月間、結論から言うと退屈で暇を持て余したのではなく、すごい充実していた。 この2ヶ月間は我々大学3年生の年代にとってはとても言わば

          強くなった自分 〜自粛期間を経て〜

          1日の中で意識していること

          私は周りの大学生に比べて「意識が高い」と自負して生きている。 ではそもそも 「意識が高い」 とはなんなのかどういうことなのか。 私がたった21年の人生で認識しているそれは、 「1日を無駄に生きないこと」 これではないかと思う。 例えば 私のように大学生でもサッカーをやっているなら、 ・1つメニューにも手を抜かずにやる ・自主練習をたくさんする ・筋トレをたくさんする ・食事に気をつかう ・規則正しい生活をする これらのように、あげようと思えばいくらでもでてく

          1日の中で意識していること

          今私にできること

          (画像に困るとサッカーの写真を載せてしまいます、、笑) 偉そうなタイトルではあるが私は特別な人間ではない。 今現在 新型コロナウイルスによる外出自粛は我々にとってマイナスなことなのか? 他人との関わりを最小限にしなくてはならないことは果たしてマイナスなことなのか? この期間に私は色々と考える機会ができた。 これまでは週6日の部活と、部活が終わってからの時間で合間を縫って週5日のアルバイト、朝ご飯と夜ご飯は寮飯が準備されている環境。 「暇」が嫌いな私の一週間のスケ

          今私にできること

          勉強 〜サッカーバカな自分が無縁だったもの〜

          (中学・高校といつもとなりで一緒に勉強してきた友達との写真です) 少し前の投稿にもちらほら書いたように私は勉強が大の苦手だった。 その勉強に対してどうやって苦手意識を消していったかを私の主観で書ければと思う。 実際は 中学3年生の初めまでユースに上がれればユースの提携校に、高校サッカーを選択すれば強豪の私立校に、と思っていた。 もちろんどちらの選択をしたとしても勉強を選ぶ考えなどなかった。 私の主観だが、大学までサッカーをやってきた人間の半分以上はサッカーで

          勉強 〜サッカーバカな自分が無縁だったもの〜

          なぜ私が関東の大学にしたのか〜人生選択2〜

          (東京で遊んだ時にビルや店の多さに驚いた田舎者の私が撮った写真です) シンプルなタイトル通り、なぜ私が生まれ育った東北を離れ関東の大学に進学したかを理由も踏まえて書けたらと思う。 私はサッカーを続けようが、勉強に絞ろうがどちらにせよ関東圏の大学に進学しようとは高校入学前から決めていた。 理由は大きく3つあって、 1つ目は 「厳しい環境に身を置くこと」 2つ目は 「人脈を広げること」 3つ目は 「いろんなマインドを持つ人間に触れること」 とあった。 細かい理由を

          なぜ私が関東の大学にしたのか〜人生選択2〜

          東日本大震災を経験して

          (トップの写真は、この綺麗な海が姿を変えて人の命を奪ってしまわないようにと願いを込めてこの画像を選びました。) 9年も前になるあの「東日本大震災」についてその時の出来事や、当時の心情を書けたらと思う。 2011年 3月11日 14時46分18秒 本当に3月かと疑ってしまうほどの寒さだったあの日、私は運が良くも悪くも熱を出して家にいた。 家には母、次女と3月6日に生まれたばかりの次女の赤ん坊がいた。 姉は里帰りで帰ってきていた。 そして一緒に住んでいた祖母は近くのス

          東日本大震災を経験して

          なぜまだ大学でもサッカーを続けるのか 〜人生選択〜

          (大学の入学式に撮った写真を載せています) 今回はなぜ私が大学生になってもまだサッカーを続けるのか、というシンプルなことについて話していきたいと思う。 結論から言ってしまえば 「サッカーが好きだから」 が極論である。 そう感じさせられる場面はこれまでにたくさんあって、例えば ・試合や練習で相手の決定機を止めたとき(GKである私にとって) ・練習していたことが本番で発揮できたとき ・試合に勝った時 などなど、人それぞれたくさんの場面でサッカーの本質に触れていると

          なぜまだ大学でもサッカーを続けるのか 〜人生選択〜

          キャプテン ~相棒~

          なぜこんなにも雑なタイトルになったかは自分にもわからないが、キャプテンを務めた経験があるサッカー人生で感じたこと、学んだことをより詳しく書いていけたらと思う。 (前の投稿にもすこし似たような話があったかもしれませんがお許しください。) 私は大学生になる今までで、小学校、ユース(高校)でキャプテンをやらせてもらった。 ちなみにJrユースは副キャプテンだった。 何かとこの「キャプテン」に関わることが多いのは7つ離れた姉の存在が大きかったと思う。 姉は中学、高校とソフトテ

          キャプテン ~相棒~

          大けがから学んだこと

          この投稿から「です・ます」調をやめようと思います。 前の投稿で少し書いたように私は高校2年生の6月、腰の大けがをした。 けがというの「第4腰椎分離症・第5腰椎骨折」であった。 私は1回で2か所の骨折をした。 このけがは突発性のものではなく、慢性的なけがである。 要するに私は無理をしていた。頑張り方を間違えていた。 腰に痛みを覚えたのは、けがをするちょうど半年前の12月、ある日の練習後から歩くたびにずきずきと痛む感覚があった。 それまでけがをすることがあまりなかっ

          大けがから学んだこと

          サッカー ~人生をかけて~

          前回の投稿「自己紹介」にも書いたように私が20年間の人生の半分以上をかけているサッカーについて、始めたきっかけから少し書けたらと思います。 私がサッカーを始めたのはおそらく5歳くらいだったと思います。 私には5つ離れたはとこがいて、そのはとこが近くの公園で毎日ボールを蹴っていて、その遊びに混ぜてもらっていたのがきっかけです。 たった5歳のガキが小学生の貴重な遊び時間に混ざって、と今考えるとすこし邪魔ですよね。笑 そこでサッカーの楽しさに気づいた私は自ら母親に「サッカー

          サッカー ~人生をかけて~

          自己紹介 〜私という人間について〜

          1999年5月、私は福島県の北部にある自然に囲まれた田舎町に4人姉弟の末っ子として生まれました。 私は母のお腹の中にいる時から母を困らせるほどの暴れん坊で、生まれてからは言うまでもなくじっとしてられない「丸坊主」でした。笑 それからの私は、物心がついてから始めたサッカーを軸に人生をスタートさせました。 (サッカーのことは今度また詳しく書きます) 小学校2年生からサッカーを始め、プロサッカー選手になることを目指し、中学に上がるタイミングで福島で一緒に暮らしていた祖母と2人

          自己紹介 〜私という人間について〜