なぜまだ大学でもサッカーを続けるのか 〜人生選択〜
(大学の入学式に撮った写真を載せています)
今回はなぜ私が大学生になってもまだサッカーを続けるのか、というシンプルなことについて話していきたいと思う。
結論から言ってしまえば
「サッカーが好きだから」 が極論である。
そう感じさせられる場面はこれまでにたくさんあって、例えば
・試合や練習で相手の決定機を止めたとき(GKである私にとって)
・練習していたことが本番で発揮できたとき
・試合に勝った時
などなど、人それぞれたくさんの場面でサッカーの本質に触れていると思う。
でも
サッカーが漠然と好きなのであれば、競技者をやめて好きなチームのサポーターにでもなればいい。
日本代表や海外の有名なサッカー選手ばかり見ていればいい。
しかし、私はやはりあのけがをしていた期間に
「サッカーをすること、プレーすることが好き」 と気づいたのだ。
「大けががサッカーの楽しさを倍にしてくれた」
とさえ思う。
世間的には大学生、社会人になる高校卒業のタイミングでサッカーをやめてしまうことが多い。
それからは大学生ライフを楽しむことや、社会人になってお金を稼ぐことに人生を方向転換する。
それはとてもよくわかるし、実際に私自身もサッカーをやめて勉強に専念し、大学進学をしようと思った時期もあった。
でも
けがをしてできなかった大事な3年間のうちの1年間があったことで、もう少し自分自身の可能性に賭けてみたいなと思った。
良くも悪くもあのけがの期間に成長できたであろう伸びしろを最大限まで埋めて、思い残すことがなくなってからやめよう、
そう思った。
卒業するときにあの一年がなければもう少し上手く慣れたんじゃないか、と後付けの言い訳すら浮かぶ、、笑
また私の「始めたことを満足するまでやり切らないと次に行きたくない」という頑固な性格も少しはあると思う。笑
現に高校時代に3年間やりきって思い残すことがなければサッカーを離れて、またなにか新しい人生をスタートさせてみてもいいなと思う。
でも20年足らずしか生きていない人生の中で、サッカーに十数年親が身を削る思いでサポートしてくれたのにもかかわらず、完遂しないまま終われないという気持ちが「サッカー愛」の次にあった。
これを言い始めたら今後の人生できりがない話というのはわかっている。
時に
私たちが練習をする時間に普通の大学生は遊んでいて、大学生特有の飲み会であったり、という事実にうらやましいと思ってしまう事は少なからずある。
それはきつい練習や走る種目のトレーニングが多い時期になればなるほど、そう感じてしまう事が多くなる。
でも絶対に周りが遊んでいる中、割り切って踏ん張っていれば、今後の人生にプラスのなることは多くあると思う。
あくまで私の主観であるが、
「大学生の遊び方」
を知ることも素晴らしい。でも
「大学4年間厳しい環境に身を置くこと」
の方が私にとってその先プラスのなることが多いと思う。
中には、
「一握りしかプロサッカー選手になれないのになぜお金と時間と身を削ってつらいことやってんだ」
「お金を稼ぐことをもっと勉強して、将来大金持ちになることを目指す方が正義だ」
という意見もある。
もちろん言いたいことはわかるし、お金に目がくらんでしまうのも人間の本質である。
でも果たして、物事をメリットデメリットの比率にばかり置き換えて、デメリットがメリットを上回れば違う選択に切り替えること
それが全て正しい選択で正しい生き方なのか。
人間は1日の中で6万回の選択をして生きている
もちろん小さい物事を決める選択はメリット重視に決めればいい。
でも時には、その生きてきた中での自分の可能性に賭けた最大の人生選択をするのもいいのではないかと思う。
それがもし数年後、
失敗だったかもしれないと思えば今後の人生に活かせばいい、誰かに伝えていけばいい、同じ失敗をする可能性がある人の救い手になればいい、
すべてをポジティブに転換するのだ。
あくまで私の意見だが、
学生時代にしか経験できないことをやってなにがいけないというのが本音で、プロになることだけが正しいと言う人間にはわからない「なにか素晴らしいもの」を我々は常に手に入れ続けている。
そう信じている。
たとえ私が将来、プロ選手になれなくてぎりぎりの生活をしていたとしても、この大学サッカーで学んだものに胸を張れるのは紛れもない事実で、誇りである。
と、大学3年生になったばかりの今でさえ思う。
「人生というのは事が終わってから正解が分かるものであり、最中に正解を知ることはできない」
こんな言葉もあるが、その通りだなとこの年になって思う。
新しいものに挑戦するか、今までやってきたことの究極を追い求めて続けるか、正解はわからないけど、迷って時間を無駄にすることこそが「不正解」というのは今わかる。
人はたとえ間違った選択をしてしまっても、その最中にそれを正しい選択に変えることもできる、
気の持ちようですべてを自分にプラスであると捉える精神を持つ。
このメッセージを誰に向けて伝えるとかではないが、先のわからない自分の人生に必ずつながると言い聞かせて、私はまだサッカーに打ち込んでいる。
こんな文章は私の自己満足、言い聞かせに過ぎないが、
「今後の限られた人生での時間の使い方」
という題を中心に、もっと迷っている誰かを救えるような事を発信していくことが私の今すべきことであると思う。
伊藤慧
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