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スタンド・バイ・ミー

今日はnoteを始めて6ヶ月記念日だそうだ。
週1回だが欠かさないということは短い期間でもそれなりに大変だった。
どういった内容がよく読まれるのか、どういったタイトルや写真だと読んでみたくなるのか。
色々やって分析してみよう、などと思っていたが、分析のためのデータを集められるほど読まれているという実感もなく、そもそもその分析によって得た情報から書く内容を決定するのかと問われたらしないなと思い、途中から気にしなくなった。

読んでもらえなくていいなんて全然思わない。しっかり時間を使って書いているので、下手な文だが読んでほしいに決まっている。
かといって、わかってほしいとも思わない。それは、わかってもらえなくていい、というのともまた違うのだけれど。

作品全てに於いてそうだ。
読んでほしいし見てほしい。色々な条件が叶えばお迎えしてほしい。

自己満だけでは終われない、その先にある望みとは何か。

手あかのついた言葉だが、「心を動かしたい」というところへ帰結していく。

理屈ではなく心をつかまれるもの、動かされるもの。そういう物との出会いや体験は財産である。
少なくとも私にとってはそうで、リアリティからしか作品は生まれてこないので「私にとってはそう」を信じ抜くしかない。
そして私も、作品を生み出す身としてそんな財産を与えられる側になれたら、と思うのだ。

同時に、それを押し付けるわけにもいかない。
私にとってはそうなんですけどだからあなたもそうですよね?というのはもっての他だし、私にとってはそうなんですそれを解ってください!と主張したところで、解らない人は恐怖すら感じるだろう。
文章でも作品でも同じで、私はこうですがあなたにとってはどうですか?という問いかけなのだ。

では何の心を動かしたいのかというとそれは勿論作品を見てくれる人の、で、その「見てくれる人」という層を狭めてしまいたくない。

私は、この個展の制作期間ひたすらHIPHOPを聴いていた。HIPHOPに救われたといっても過言ではない。
アウトサイダーな彼らの音楽は、つまはじきにされても自分と向き合い自分と闘い続け、信念を感じるものがたくさんあった。
中には過激なものもあり全てを肯定することはできないのだが、それも彼らのリアリティなのだという見解に触れ、好き嫌いではなく理解できるようになった。

弱気になる私に、自分に負けんじゃねぇよ!と、すごむのではなく倒れないように腕を掴んでいてくれたように思えた。弱きものを見捨てないという優しさを感じた。
新しい世界を垣間見ることができうれしく思った。
(ただ、巷でHIPHOPがえらく流行っていることは全く知らなかった。そこは弁解したくなる私。)

逆もしかりが有り得てほしい。

人形なんて訳わからん、どういう世界やねん?という人の心をも掴んで動かせるような作品を作りたい。
それは万人受けしたいというのとはまた違う。
自分の作品で心を動かしたいのだ、何かを意識し、何かに寄せた作品では結局深層へは届かないということはよく解っている。

万人でなくていい、けれど自分の手の届く範囲だけに留めておきたくはない。
野望を語るのはタダだが語っているだけではそれは野望のままだ。

なんだかすごくややこしい記事になってしまった気がするが、すべきことは至ってシンプルだろう。
自分なりの回りくどいやり方であれ信念を持って挑み続けろということだ。
分析できるようなデータは、生憎持ち合わせていない。

大西けい 人形作品展calling

3月25日(木)~3月30日(火)

cultivate gallery : 阪急神戸線王子公園駅、JR神戸線灘駅

3年ぶりとなる個展を地元神戸で初開催。

自身が長年深い思いを抱いている「人形」と向き合い見えてきたもの。たしかな声。

※会場内の換気、消毒など感染症対策を徹底して行います。ご来場の際はお出かけの前の検温、マスクの着用を必ずお願い致します。

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