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本日、暗闇からお届けします。

年が明け、お正月が終わり、仕事が始まり、日常が帰ってきた。
日常の根幹が様変わりしてしまったとはいえ、繰り返されるべきリズムがあり、自分がそこに合わせていくということには安心感がある。
安心を守れるというのは大切なことだ。

安心は安全であり、安全は安定と言える。
安定は停滞というのもよく言われる。そして停滞は、どちらかといえば良くないものとして扱われる。

私は今完全に停滞している。下の方で。

昨年の春、
「コロナという新時代がきたぞ。色々見つめなおさなければ死ぬぞ。」という思いに駆られ、それが起爆剤となり私のモチベーショングラフは上昇していた。

noteを始めインスタ投稿を再開し、個展を決め構想を練り新しい人形を作った。
それだけのことだ。
しかしその中に秘めた衝動は、安定を壊すのも厭わないパワーがある。

思考や感情に対して行動が追い付かない。その間にもアドレナリンは放出され続ける。それは快感だ。
「無双モードやっと来た!」と、小さくガッツポーズをしながら、走る。

私は、モチベーションを上げたまま走れる状態を無双モードと呼んでいる。
この無双モードの期間にどれだけの距離を稼げるかが重要だ。
重視するのは深さではなく距離で、今の自分からより遠いところめがけて走る。
こういう時は周りが見えなくなりそうだけれど案外視野は広い。
明るく拓けている場所は、意識が行き届きやすいということだろう。

車が来れば危険を察知し、道で困っている人がいれば立ち止まり手を差し伸べることもできる。
人それぞれの足の長さによって生じる歩幅の差異や、身体能力の違いだってきちんと知っている。
今の自分に必要なタイプの充電コードを適切に選ぶことができる。
過充電にならないタイミングでコードを抜き、また走り出す。
「よっしゃ行くで!」などと言いさえもする。


だが、残念ながら無双モードはそう長くは続かない。

習慣や潜在意識をコントロールすることで信号待ちのランナーのように「その場駆け足」を続け、距離は稼げなくともモチベーショングラフの下降を食い止める、というやり方は色々あるのだろうが、無双モードの終わりに気がついたときには下降の傾斜に身を任せるしかなくなっている。

「下降の時は深さを探るに適した時期だ」ということを、心のどこかで知ってもいる。
気が付くと、場面は快晴の地上から深海へ変わる。


深さを探ることは暗く静かだ。
周りがよく見えない。自分の手のひらに収まった知識と感覚でしか物事が図れなくなる。
時おり、美しい人魚が私の前を横切る。あっちの方で光って見えるのは竜宮城だろうか。
自分というものの輪郭がぼやけて、そのまま消え入りそうな感覚になる。

無双モードは完全に消沈し、暗闇という不安の中で膝を抱えてしまう。

額から流れる汗さえもキラキラと美しく思えていたあの日々はどこへ?あれは本当に私なのか?あんなに得意げにハキハキ喋って…色々間違ってんで…あーー恥ずかし。
さっきまで水面に写ってゆらゆらしていた月明かりさえももう見えない。
あー、もう、暗い。見えないのに、めっちゃ見える。


こんなテンションで言うのもなんだけれど、それでもひとつ解っていることがある。
深い暗闇の中でも出来ることがあり、それは「未来の自分に期待をすること」を止めないこと。
こんなテンションじゃなきゃ却って言えないのかもしれない。
キラキラ汗を流しながら笑顔で言ってしまうと、場合によっては死人が出るような言葉だ。

しかし膝を抱えてただじっと期待をしているだけでは事態は悪化してしまう。
その間にも手は動かし続け、思考が停止するのを阻止しなくてはいけない。
noteを隔週更新に決めたのもそのためだ。

暗闇ではちゃんと電気をつけて、寝坊したことを責めず、時にケーキをもてなし欲しいものを買い与え(深海であろうとAmazonは届く)、静かに本読み、空回りにも負けずにあの手この手のドーピングを施しながら思考停止の回避に徹する。

ひたすら繰り返していると、ある日突然目の前に玉手箱が現れる。
いつの間に?という感じで目の前に置いてあることもあるし、誰かに手渡されることも、Amazonの段ボールが玉手箱に姿を変えていることもある。

特別深く考えることもなくその玉手箱を開くと煙が噴出する。白い。

辺りを覆った煙が消えた頃、そこは快晴の地上だ。私はすでに屈伸など始めている。なんと一丁前な。

そして、思考と感情が追い付くより先に小さくガッツポーズをして走り出している。ドレスの裾を振り払いながら。


人は毎日生まれ変わるのだと、明日の私ならきっと大丈夫だと、こういう言葉を信じようと思えるようになるのは簡単ではなかったけど、あんなに絶望していた明くる日嘘のように走り出せることが何度もあった。経験は偉大だ。

暗く静かだからこそ聴こえる音があり、浮かび上がる光があり、感じ取れる気配があっただろう。
そんな中で掴んだ感覚は切実さに満ちている。

明日は、地上に出られますように。


こんな私ですが、本年もよろしくお願い致します。

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