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"出来なかったこと" と "しなかったこと"

人が大きな後悔を感じるのって「出来なかったこと」より「しなかったこと」に対してな気がしていて。

"このご時世だから"というだけじゃなく
いつだって何が起こるか分からないこの世の中だと私は思っている。

いつ大切な人を失うか分からない。

こう言うとね、だいたいの人に大袈裟だと笑われる。
失うことを不安に思いながら毎日を過ごしたいわけではなくて突然何が起こったとしても後悔しない毎日を送りたい。そう思ってる。

約6年前の7月にママが大腸癌のステージ4だと診断された。腸閉塞の危険が迫っているから緊急入院して欲しいと。
私は韓国に留学中で日本に一時帰国している時だったから夏にミュージカルの再演も決まっていたし韓国に戻らないといけない。

戻るか戻らないか。
この仕事をしていたら迷いそうな所だけど私の中での答えはひとつだった。
余命半年だなんて言葉はまだ信じられなかったけどママとの"今"を過ごすこと。それしかなかった。
生きていればミュージカルにはまた出れる。今戻ったら必ず後悔する。直感的にそう思った。

それからの半年間。入院中は毎日一緒にいた。
いつだってぎりぎりの精神状態だったからたまに感情が溢れて病室で喧嘩してはふたりで大泣きしたりした。看護師さんに心配されたりしながらも「いっつも一緒で仲良しだねぇ〜」って言われてた。


手術をしたあと集中治療室にいた1週間も治療の為に都外の病院に入院していた時も一時帰宅中の家でもずっと一緒にいた。

そして亡くなる1ヶ月前。家族3人で年越しをした後に容態が悪くなりすぐ入院になって、それからの1ヶ月間は病院に泊まり込んだ。

最後の10日間くらいかな、緩和ケア病棟に移動して。
意識の無い時間が増えていき会話の出来る瞬間が次はいつくるのか分からなかったけど、その時は絶対そばにいたいって思っていたから片時も離れなかった。

まいにち、まいにち
「ママ愛してる。사랑해 엄마.(サランへ オンマ)」
って必ず伝えた。聞こえているのか分からなくなっても欠かさず伝えた。

そして、息を引き取ったその瞬間も伝え続けた。

最終的に何をしてあげられたのかなんてやっぱり分からなかったけど最後の最期まで一緒にいられたこと。出し惜しみせず愛してるって感謝の気持ちを思う存分に伝えられたこと。

結局は私のエゴだったのかも知れないけど
「しなかったこと」の後悔が無いという事実はこんなにも確かに私の心を救ってくれた。

その時決めたんだ。いつしんでも何が起きても後悔しない毎日を生きるんだって。
刹那的だし大袈裟だし重いしメンヘラだし面倒臭いと笑われても私はこれからもそう言い続けたい。

今日の速報。岡江久美子さんの訃報。
突然過ぎて悲しすぎて…。言葉にならなかった。
コロナはそうやって突然大切な人を奪っていくかも知れない。

だから、ふと思い出す度にパパに電話したい。心配してる。愛してる。そう言いたい。
好きな人がいたら駆け引きなんて気にせず想いをちゃんと伝えたい。
大切な人たちには「あなたのことが大切です」ってどんな時も伝え続けたい。

そう、生きたい。


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