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小説書くけど小説読まないんだよな

実は

 小説書いているんですけど、小説系はあんまり読まない人間なんです。読むのはどうしてもスポーツ選手だったり将棋棋士だったり色んな偉人の本だったり。要は「その人の考え」や「その人の思考過程」が分かるような作品や本を読む事が好きですね。世には「エッセイ」と呼ばれるジャンルなんでしょうが、どうも「エッセイ」という言葉は好きになれないし、自己啓発本ってわけでもないので表現が難しいですが笑。
 東野圭吾とか恩田陸とか花村萬月とか色々読んではみたし、嫌いでもないのですが、物語よりもやっぱり人となりが分かる書籍が僕は性に合うようです。

そういう本を好きだからこそ、キャラクターの数は増やせる

 こういう系統の本が好きで色んな人の本を読んだ事でキャラクターの設定や引き出しは増えたように感じます。特にビジネス関係の人や開発などの業界の人を読むと「冷酷なまでにドライな眼を持ちつつ、成果を出す為に特化して思考する」人や「トータルの結果が出る事が全てなので枝葉や末端のことまで考慮して完璧にすることはない」という人がいる一方で、国境なき医師団の医師のように「自分に無関係で何の縁故もない人間でも困っていたら救ってあげたい」という慈愛に満ちた人までたくさん居ます。
 そして、それのどれも全て間違いではないし、間違いである。これが人間社会の面白い所だと思います。ビジネスの世界で博愛主義は人として愛されても利益を上げるビジネスの観点からいくと不正解でしょう。困っている人を困窮する地域を援助しに行ってるのにそこで成果主義に特化する事もまた誤りでしょう。まさに適材適所という言葉がピッタリ当てはまるわけです。
 そういう事を考えながら読んだり、この人はこういう事を考えていてこういうタイプの人なんだなというのが分かってくるとキャラクターが脳のファイルにストックされるわけです。

仕事になってからは楽しくないというスポーツ選手もいれば楽しめという人もいる

 よく、スポーツ選手で「子どもの頃は楽しかったが、いざプロスポーツ選手になったら楽しくなく、辛い事ばかりだった」という選手が居ます。
 僕の好きな野球で言うとイチローさんや宮本慎也さん、鳥谷敬さんあたりは自著やインタビューでそう答えてます。引退を決めてから、引退をしてから楽しくなったという。最近、競馬でリーディングジョッキーになっている川田将雅騎手もそのタイプに本を読むと感じます。
 一方で、楽しめ!というタイプの方もいらっしゃいます。ヤクルトの高津監督はそういうタイプの方じゃないでしょうか。プロに憧れる人は多けれどもプロになれる人はごくわずか。その世界で生きてきている人の言葉というものはその他大勢、有象無象の人生とは大きく異なります。さらにそのマインドセットに触れる事によって理解を深められる事もあるわけです。
 特に、自分の理想や自分の基本的なマインドセットと大きく異なる人間の思考法は非常に参考になりますし、小説などを書く上ではこれ以上ない資料になります。特に、心に高田純次を飼っている僕のような大雑把テキトー人間では行きつかない境地などは学びにしかなりません。

自著系の本こそ小説家は読むべし

 小説家だから小説を読むというのはスタンダードな事だと思います、それを否定する気持ちもないですし、さも当然の事だと思います。
 ただ、漫画や小説のようにキャラクターに色を付けてしっかりと描こうとするツールに関してはキャラクターの味、強さというものも絶対的に必要です。その中で小説に出て来た似たような味付けのキャラクターを出していたのでは、1作は良くても何作も作っていくと必ず埋没してしまいます。僕もよくありがちな現象です。これが、キーキャラクターじゃなければ流れでフェードアウトも構わないのですが、中軸のキープレイヤーやおいおいストーリーに関係させようと思って出したキャラクターのプロットが甘いと起こりがち。これだと、小説内でそのキャラクターも苦しむし、執筆者すら自分で苦しみ始めます(爽)。
 小説を書き始めてからむしろこういう自著系の本を読む量を圧倒的に増やした事によって少なくとも消え去るキャラクターは減らせたような気がしますし、backlashのような多数系のキャラクターもそれなりに味が出せる作品が作れたような気がします。それぞれの個性が薄くなりがちにならないように配慮は必要なんですけどね笑。
 というわけで、小説を書くなら自著系の本を読むべし。というのが、最近の僕のマイブーム主張になっております。効果のほどはいつか出てくれると信じて、今日も何かしらの自著系の本を読む。そんな読書の秋を迎えております。

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