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山門の狸: 普音寺にて
夢の中でわたしは狸だった。まだ小さな子狸で、口に小判をくわえ、長い長い石段を見あげていた。はるか上に山門が見える。
山門は開いている。
けれど遠い。白い雲が青い空に浮かんでいる。どこかでひばりの声がする。
- 最後の最後にまた難関かよ。
天竺に続く道ってのはやけに遠いもんなんだ。
夢の中の私はなぜか東(あずま)訛りで、山門をしばらくじっと見上げていた。秋口の暖かい日差しに浮かび上がる大きな木の門。
わたしは腹に力を入れて、よいこらせと立ち上がった。仁王立ちならぬ野中の案山子の二本足、という風情である。案山子にしては少々毛がもさついている。つやがなく、栄養回りが悪そうだ。
石段一段は子狸の肩を越している。上の段に前足をかけ、よっこらせとよじ登る。体をずりあげるとまた立ち上がってもう一段。口元の金貨に傷がつかぬように、あごを上げて上っていると本当にあごがあがってきた。
一段、そしてもう一段。
四段目で山門を見上げる。
万里の道の果ての果ての果ての果て。
ふと見上げると空から黒い物体がつっこんでくる。
烏(からす)。
とっさにかわしたが、烏の羽根にはじかれた。はずみでころころ転げおちる。
四つんばいで身をたてなおし、飛びさった後を見極めようとふりむいたが、右も左もわからない。きょろきょろ見回して、それから上を見上げると、ちぎれ雲が 浮かぶ青い空の中から、烏は再度こちらに向って急降下。いや、こっちではない。相手は石段脇の石溝で日の光をうけて輝く、金貨をめがけているのだ。茶色い 狸は溝に飛びこみ、鼻先で金貨を弾き飛ばすと、飛んだ先に跳躍して、着地と同時に金貨をくわえあげ、一目散に溝を駆け上った。
気がつくとそのまま山門を走り抜け、脇の植えこみに飛びこんだ。
息をこらす。
あたりはしんと静まりかえっていた。
茂みから鼻先をそっつ突きだしてみた。
動くもののはない。
遠くで仏法僧の鳴く声が聞こえる。誰もいない。
烏はあきらめたらしい。
左に鐘つき台があった。その向こうの卒塔婆や墓石はさえぎるものもなく見渡せる。
ここのお寺だな。
右手には庫裏がある。その向こうには女坂に続く細い廻り道。そして正面には古びた本堂。山門は開いていても本堂の入り口はきちんと木戸がたててある。
烏の気配はない。人の気配もない。鐘つき台には鐘もない。
新月の晩に頬かむりの男女が寄ってたかって鐘を外し、持っていったと聞いた。
- そういう人らはこれからあんじょう先まで償いをしていくんや。わいらがいんでも修行すんねんど。生まれ変わって修行して、自分で自分の根性叩きなおしてやっと人間になる。その下ごしらえしたんがあの鐘や。あんま響かん鐘やったけど、ほんまはええ鐘やってんなあ。
住職さんが杯片手に笑っていたらしい。
- 撞き方が下手なせいやて、あんなぶつぶつゆうてたくせに。
小僧さんが言う。檀家さんの鮎がかんてきの上で煙を立てている。
- 鉄砲にされた前の鐘の代わりに檀家がせっかく寄進してくれたんや。撞き手んせいにしとかな檀家来てくれへんなるど。
そんな話を西の兎から伝え聞いた。
それをでここに決めたんだ。
私は戸口に向き直り、もう一度後ろ足で立ち上がった。大きく息を吸い、それから肩に力を入れて、思い切って言おうとして、そこで口に小判をくわえていることを思い出した。
小判を前足に抱え、思い切って声を出す。
- たのもぉ
声がちっとも前に出ない。
空気は震えず、中に聞こえるはずもない。
- たのもぉぉ
十倍も力を入れたはずなのに、それでもすすり泣くような声しか出ない。
もう一度息を吸いなおして、ふと気がついた。
体についた埃を払い、頭のてっぺんもはたく。石溝がこのところの天気でからからに乾いていてよかった。
掃除もきちんとされているのだろう。枯葉のひとつもたまっていなかった。
"日頃の行いだよ"
古老の賽さんがよく言う言葉だ。
葉っぱがないのでお母さんが教えてくれたように頭の上にはっぱを乗せた自分を思い浮かべて、印を切る。
どろろんろん。
この姿で村の子どもと何回も遊んだ。
"それから、今までの経験が自分を支えるだよ"
賽さんもお母さんも、みんなも今はどうしているだろう。
転んだら、花ちゃんが駆けよってくれたっけ。
思い出すと涙がでそうになるった。ふりほどくつもりで大きな声を上げた。
- たのもぉぉぉぉぉ。
- お寺にご用ですか。
背中のほうから声がした。ふりむくと人間の女の人が立っていた。
白っぽい着物を着て、手には深い緑の風呂敷包みを抱えている。
- お参りですか? それともお遣い?
- あの、住職さんおねがいしたいのですが。
- おっさん? ("お"は高く発音) 中見てきますよ。ご用件をうかがってもええでしょうか。何のことか先に聞いといたら、前もってそれなりのこしらえもできるゆうて、取り次ぐときは聞いといてくれいわれますねん。よかったら先に教えてもらえます?
- あの、えっと、はい。
- では、ご用件は?
言葉が出ない一方、手が勝手に動いていた。
女の人は突然目の前に現れた小判に目を丸くした。
- お金?
- あの。これ、住職さんに。
女の人は小首をかしげる。ここまで来たら言うしかない。
- ここのお寺でつかってください。掃除洗濯なんでもします。仏様のこと教えてもらいたいんです。力仕事もできます。なんでもします。どうかよろしくお願いします。
女の人はこっちをじっとみた。何かを言おうとしたけれど、ふっと気がつき引き戸を開けた。
- すみませんね。玄関先で立ち話して。おっさんに伝えてきますんでこちらで待っててもらえますか。
玄関脇の小さな部屋に通された。ちりひとつない畳の上に女の人は正座をし、どうぞあててお待ちください、と座布団をすすめてくれた。
畳というものは外から見たことはあったけれど、上がって見るのは初めてだ。
どうしていいのか戸惑っていると、女の人はまず座って見せてくれた。
- では、呼んで参ります。
両手をついてお辞儀をし、立ち上がるかと思ったら、女の人はすっと耳に顔を寄せ、
- おっさんとはじめてお会いするのでしたら、まず後のもんは閉まっておいたほうが無難かと思います。それから、草履を裸足にすることはできますか?
しまった尻尾が出たままだった。
それに女の人はいつの間にか足袋姿になっている。
おろおろする私に、女の人はあれやこれや、いろいろ細かい手直しを手伝ってくれた。
郷の花ちゃんみたいだった。
目が覚めると白いのっぺりした天井が広がっていた。電灯の丸いカバーを見ながら私はゆっくり考える。
そうだ。私は前世、狸だったんだ。
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