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期待を超えてきたときの気持ち

こんばんは。

金曜日に、早起きして観戦されたみなさんは、マジで早起きしたがいがあったと思いましたよね。にわかファンなので、多くは語れませんが、なんだかとても心が熱くなりました。

娘がテレビ画面をなでながら、「きっとできるよ」と声をかけた日から数日、決戦当日は大人がソワソワしていたからか、娘まで朝の4時過ぎに起きてきてしまった。そして、一緒に応援した。

といっても、娘は折り紙で遊んだり、ぬり絵を引っ張り出してきたりして、遊びながら大人たちが夢中になるサッカー観戦に付き合ってくれた感じ。興味はないながらも、「青が勝つの?」と途中で戦況を確認したりして。何がそんなに面白いのかを確かめようとしていたかのよう。

後半、ゴールが二度も決まり、パパとママが何やら喜び叫ぶ姿をみて、「もう終わり?」と聞かれたけど、いやいやまだまだ終わらないんだよ、と時間を気にしながら耐える時間を過ごした。

そして、歓喜。歓喜。歓喜。

まだ暗い冬の朝、しみじみとコーヒーをいれながら、ゴールシーンのリプレイをみる。お隣の窓の電気もついていたから、あの小さなサッカー少年も、きっとご両親と観ていたのだろう。

朝日がのぼる頃、娘は早起きし過ぎで眠そうにソファーに腰掛けていた。それでも、日本中が喜ぶ映像をみて、何かすごいことが起こったのは分かっている様子。そのコントラストが面白かった。

母は早起きついでに、早めに家を出て、朝から仕事がはかどった。父と娘は、いつもより40分も早く保育園に現れて、先生たちをビックリさせたらしい。うちの上司は、ユニフォーム姿で会社に現れて、部下たちを困惑させた。日本の勝利をきっかけに、色んなところで小さなドラマが生まれた。

期待というのは、期待する側の勝手な理想かもしれないけれど、期待に応えるよりも、その期待を良くも悪くも超えたときには、ビリビリと人の心を熱くさせる何かが発せられる気がする。前回は、期待を悪く超えたけど、今回は良く超えて、それぞれに心を揺さぶってくれた。

わたし自身は、人から期待されるほどの人間ではない。でも、ときには自分で自分に期待して、それを良く超えられたら褒めてあげたいし、悪く超えたときには落ち込んで、次に飛び上がる力を蓄えたい。

ああ、この話をどう落としたらいいのか分からなくなってきたので、この辺で筆をおきます。自分の文才には、しばらく期待せずにおきます。おやすみなさい。



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