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忘れてしまうなら覚えておこう

こんばんは。

娘が勝手にスマホを操作して、自宅の天井の写真が100枚ほど連写されていました。そのことに気づかず、通勤途中にスマホの画像を眺めようとしたら、真っ白い画像ばかり出てきて、画像データが全部飛んだ!と思って、めっちゃ焦った。なんて経験ありませんか?

さて、先日、以前に今年の3月まで通っていた保育園時代の写真や動画を娘と一緒にみていたときのこと。娘は特に、生活発表会でクラスのみんなで演じた動画を好んで何度もリクエストした。お世話になった先生たちも映っていて、とても懐かしく、「○○先生だね~」と娘に話しかけた。すると、帰ってきた返事は、、、


「これ、だーれ?」


え?!まさか、忘れたの?担任の先生には、あんなに懐いていたのに。他のクラスの先生の名前も全部言えたのに。まだ、転園して、半年とかなのに?!と、衝撃をうけた。

1歳から2歳にかけて、関わる人がガラリと変わり、毎日インプットされる情報が増えていったのは間違いない。記憶のキャパシティが溢れれば、昔の記憶から消されていってしまうのは仕方ないのだろう。嗚呼、そんなに忘れてしまうのか。人の記憶は儚く、生きるために必要な情報を優先して上書きされるのだと思い知らされた。

もう、じーじとばーばを覚えているのは奇跡に近いんだね。写真を飾って、じーじだよ、ばーばだよと教え続けていて良かったと、つくづく思う。

そうだ、人は忘れる生き物なのだ。はじめてのバイトでは、先輩からメモをとるように教えられた。新入社員には、小姑のように「メモとれ、メモとれ」と言ってきた。全部覚えておくのは、ぜったい無理だから、と。

でも、忘れるからこそ、覚えておきたいことがある。死ぬほど可愛いこの瞬間を、とてつもなく大人を困らせるこの瞬間を、どうしようもなく感動するこの瞬間を、ほんとうの驚きを教えてくれるこの瞬間を、不思議な感情にとらわれるこの瞬間を、煌めくこの瞬きの数々を娘が忘れてしまうなら、わたしが覚えておくべきだ。

スマホを向けている隙があるなら、目の奥に焼きつけておこう。カメラ越しにみる映像ではなく、そこに漂う光や風や匂いとともに、わたしの記憶に刻んでおこう。

そして、娘が大きくなったら、ひとつひとつ引き出しから取り出して、話して聞かせてあげるんだ。そのとき娘は、どんな顔をするだろうか。それが、いまからとても楽しみです。


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