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名前も知らない者同士がプレゼントを贈り合う

こんにちは。

今年のバレンタインデー、まだ理解が追いつかない娘と、風邪っぴきの夫がいる我が家では、とりあえず夫が好きなお店でケーキを選んで食べる日にしました。娘は、ケーキを前にして「今日は誰のお誕生日なの?」と嬉しそうにしていました。

ついでに、ご近所で商店を営む『オジサン』に、バレンタインギフトとして、お煎餅を贈った。娘に持たせてみたところ、まぁ、無言でグイグイ差し出してた。戸惑いながらも、オジサンは「悪いね」と言って受け取ってくれた。

実は、このオジサン、失礼ながら名前も存じ上げない。東京に越してきて、通勤路にある商店の前を通るたびに、怪しげに目線を向けられていたので、第一印象はあまり良くなかった。というか、一生関わらない部類の人だと思っていた。

ところが、子どもができて、ひょんなことから、ときどき声をかけてくださるようになった。夫が娘と二人で散歩する様子をみて、「旦那も大変だね」と話しかけられ、世間話をしたのが始まり。

娘が『オジサン』を認識するようになってからは、娘がトコトコと近づいていくと、しばしば小さな菓子を持たせてくれるようにもなった。娘は、それを「いいもの」と言う。

たいていの雨の日、オジサンはお店を閉める。娘はオジサンのお店が閉まっている日には、少し残念そうにしている(ように見えるだけかな?)。

しばらく会えなかった年末年始、年明けにお店の前を通ると呼び止められ、娘に“サンタクロースをあしらった小さな小物入れ”をくれた。オジサンは、「クリスマスに渡そうと思ってたけど、なかなか顔見なかったから」と照れくさそうだった。

ちなみに、わたしたちはお店の前を通るだけで、一度も買い物をしたことがない。それでも、「今日は遅くまで仕事だったんだね」とか「そこの傘は、急な雨のときに使ってくれていいよ」とか、無骨ながらも気づかう言葉をかけてくれる。

わたしたちは、オジサンの名前を知らない。それでも、オジサンは私たちの生活にときどき登場して、しばしば娘に「いいもの」をくれたりする。

見ず知らずの街に越してきたわたしたちに、子育てを通じて、街との接点のひとつを作ってくれたオジサン。いつか、また引っ越したり、オジサンが店じまいしてしまったりしたら、きっと連絡先も知らないまま別れ別れになる。

でも、この距離感がちょうどいい。ご近所付き合いと言うには遠く、見知らぬ人よりも近い。少し前まで、一生関わらないと思っていたのに、雨が降れば「今日はオジサンのお店お休みかなぁ」なんて思う自分に驚く。

コロナ禍で、人と人とのつながりが希薄になったと言われる中、名前も知らない者同士がプレゼントを贈り合う不思議。世の中、捨てたもんじゃないかもなって、少しそう思えたバレンタインデー。

そういえば、お煎餅を渡したとき、オジサンはおやつに大福を食べていた。辛いものじゃなくて、甘いものにすれば良かったかな。

翌日、娘とふたり、雨模様の空を見上げた。わたしは、また『オジサン』のお店の閉じたシャッターを思い浮かべた。娘もそうかな、なんて思ったけれど、どうやら買ってもらったばかりの“傘”の出番が気になって、オジサンどころではなかったようです。


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