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イヤイヤ期を幸せと思えるか
こんばんは。
毎日の晩ご飯、いや、朝昼晩すべての献立表をください。と、サンタさんに頼みたくなるほど、献立を考えるのが苦手です。娘の保育園の献立表が素晴らしく、「お昼ご飯は、しっかり食べている」と思えることで救われているグータラ加減。その改善を来年の目標にしよう、って、たぶん毎年思いそうです。
さて、俗にいうイヤイヤ期の娘。いろいろとこだわりが出てきては、消えたり消えなかったりする。手伝うつもりで安易に手を差しのべると、「じぶんでやるの!」と怒られる。着替えや通園ルートにも注意をはらい、娘の意向を確認する必要がある。これぞ、忖度。
そして、いま、“第二次ママ期”(と、勝手に呼んでいる)に入ったようだ。なんでもかんでも、「ママがいい」とのご指名をうけ、パパの出番が少なくなった。
保育園へ送ったりお風呂にいれたりなど、これまで主にパパが担ってきた役割も、すべて「ママよろしく」となり、まさに、嬉しい悲鳴をあげている。
地味に困るのは、肩車。これは、なぜかイヤイヤ期に入る前からママ指名の率が高かったのだけど、そろそろ限界が近い。次に、抱っこ。最近少し気をつかってくれる様子があり、「ママつかれた?歩こうか?」と声をかけてくれるものの、いざその言葉に甘えようとすると、「ダメ、まだまだ!」との鬼教官のお出まし。13キロを抱えて往復を繰り返す毎日は、もう中学時代の部活よりキツい。
イヤイヤ期は、イヤイヤが止まらない子供の様子を表す言葉なんだろうけど、実は親の方が、手のつけられない子供を「イヤ」と思ってしまう期間なのかもしれない。なんて考える自分に自己嫌悪。
でも、これも期間限定のこと。互いにイヤイヤを乗り越えた先には、いまより少し遠くなる親子の距離感が待っているのだろう。こんな風に、ある意味で一心同体として“ママでいられる時間”は、とても短い。振り回されて心が乱れることもあるけれど、出番が減って残念そうなパパと、娘の寝顔をみながら、ちょっぴりしんみりしたりして。
きれいごとかもしれないし、なんなら、こうでも思わなければやってられないのが正直なところですが、イヤイヤ期を『幸せな苦行』と思いながら、日々噛み締めています。
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