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知らない子供と知りすぎた大人

こんにちは。

最近になって、チョキの指を上手にできるようになった娘。何かと「2才」をアピールしてきます。先日、「ママなんさい?」と聞かれ、真面目に答えたら、「2さいでしょ!」と念押しされました。いやいや、さすがにそこまでサバ読むのは、もう罪以外の何者でもないわ。

さて、もう、今日は親バカ丸出しは承知のうえで、子供の表現は、かわいいったらありゃしないの応酬だと思うことを書きます。

雨の日に長靴を履いて出かけた帰り、玄関を開けると同時に、置きっぱなしの運動靴へ「お靴さん、お留守番してたの?」と話しかける。熱々のうどんをフーフー冷ましながら、消えていく湯気に「湯気くん、ばいばーい」と手を振って見送る。そこにある事象を説明する表現が、かわいくて仕方がない。

なぜ、かわいいのか。それは、圧倒的に語彙力が少ないからに違いない。大人は、言葉を知りすぎている。それゆえに、その事象を的確に説明しようとして、つまらない表現に陥る。

わたしなら、玄関を開けて、「あ、運動靴しまうの忘れてたわ」と言うだけ。熱々のうどんを冷ましながら、「熱いから冷めるまでちょっと待って」と言うだけ。残念ながら、そこには、何の物語も生まれない。

たとえ、大人が数ある言葉の中から、あえて「かわいい言葉」を選んだとしても、少ない言葉をつなぎ合わせてつくる子供の表現の愛しさには、どうやっても勝てない。知って失うものもあるんだな、と少し切なくなる。

ある日、近所のボヤ騒ぎで何台もの消防車が集まってきた様子をみて、「ピーポーいっぱい!」と言った娘。その純粋な驚きの表現を「直訳したら、“たくさんの人々”やな」と、しょーもない変換をかけてしまう大人(わたし)の愚かさよ。


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