【僕の過去から学んだこと②】
①の続きです。
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僕は英語が苦手でした。
(今では苦手という思い込みを自分の中で作っていました)
今になって思うのは、英語が苦手ではなく、「英語を文法通りに話すこと」が苦手でした。
なぜ、それに気づくことができたのか?
僕は留学の話をもらって、
英語は話せないけど、海外に行ったら何か自分の中で変わるのではないかという期待を持ち、留学を決めました。
その時、親に留学の話をして、お金を出してもらいました。
当時、僕を海外に行かせてくれた親には感謝しかありません。
#子どもに学びや経験のための投資ができる親に僕もなると決めています。
(僕の使命は、人生の選択肢を増やすこと 子供の選択肢もお金によって狭まるのはおかしいと思っています。)
留学先はオーストラリア。
日本は冬だったので、オーストラリアは真夏です。
僕は19歳の時、初めて日本を出ました。
人生初の海外。
当たり前ですが、日本語が日常に無い世界。
これすらも自分にとっては驚くものでした。
留学するにあたって、ホームステイもしました。
僕は本当に「周りの人達に恵まれる豪運の持ち主」だと思っているのですが、ホームステイ先のお母さん(以下マザーと呼ぶ)がとんでもなく人間味のある人でした。
最初にマザーの家に行ったのですが、マザーは息子と2人で住んでいました。
息子(以下Jと呼ぶ)は当時の僕と同い年でした。
Jは同じ19歳なのに、日本人にはいないレベルでかっこよく大人っぽかった。
環境や血でこんな違うんだ〜と思いました笑
大学では、初心者レベルの英語を学び、
それをすぐにマザーにアウトプットするのが僕の楽しみでした。もちろん、英語が話せる訳ではないので、
必死にコミュニケーションを取ろうと考えます。
しかし、当時の僕は、「英語が苦手」という思い込みが強く、
あれ?文法これでいいのかな? 伝わらなかったらどうしよう?
話したいけど、文法や英単語が出てこない!まずい!
こんな風に考えていました。
コミュニケーションを取るための手段として
英語が話せないというのは、これからの留学生活では致命的。
そんなふうに考えていたのですが、
とりあえず、分かる単語で言ってみよう!と思い、
話してみました。
すると、簡単に自分の思ってることが伝わったのです。
というより、「伝えよう!」とした。
その時に僕の中で大きな動きがありました。
「あ、コミュニケーションって、伝えようとすれば伝わる」
その時は、英単語と手の動き、顔の表情。これだけで伝わりました。
コミュニケーションって
言葉だけでなく、体の動きや想いで伝わることを学んだのです。
それからさらにオーストラリアでの生活を楽しめました。
大学では友達もできて、プールやご飯に何度も連れて行ってもらったり、マザーやJとワイナリーに言って飲んだり、
親戚に紹介してもらったり、一緒にゲームしたり、本当に充実した留学でした。
これまで剣道しかしてこなかった僕にとって、
このオーストラリア留学は全てが経験でした。
学びしかない生活。異文化。
この経験から僕は海外にハマって、大学4年間だけで13ヵ国に行き、
各国に友達が出来たり、その国について学びを深めました。
(ここに潜在意識と、ビジネスへの目覚めがあります)
この経験が、今の自分を形成しています。
最初の話に戻りますが、子どもの頃、僕には「夢」が無かった。
それは、「経験があまりにも少なかったから」
自分が見たり、聞いたり、経験したことが派生して、夢が生まれます。
僕の場合は、オーストラリア留学をすることで、たくさんの経験をして、海外に興味を持ったと同時に、日本が他の国と比べて異質であることを理解しました。
海外を見てなかったら、日本中心の視野のままだったでしょう。
年功序列、終身雇用。当時は日本だけでした。
いま、自分には大きな夢と理想があります。そして、必ず実現します。
自己紹介と言いながら、書きたいことを書きなぐっていました。
僕が、1番伝えたいことは、
「自ら行動して、経験することが大切」
経験すると、必ず何かしらの学びがあります。
それが、自分の血肉となり、資産になります。
「考える前に行動してみる」というより、
「行動しながら考える」
自分が違うと思ったら辞めればいいだけ。
一歩踏み出してみようと思っているけれど、
その一歩で踏みとどまっている人に届くことを願って。
こんな想いを持ったのが、僕です。
文章能力に関しては、伸び代があると思っています。笑
そんな僕を、よろしくお願いします。
最後まで読んでいただきありがとうございました!
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