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新しい暮らしを始めた話

一文無しになった日

2023年に入ってすぐの事だ。
私は愚弟の尻拭いの為に、なけなしの貯金を全て奪われた。

Twitterのフォロワーさんは、おおよその事情をご存じのことと思う。

100万にも満たない、けれど一生懸命貯めたお金。
このお金でささやかな一人暮らしを始めよう。そう考えていた。

昨年からずっとこの計画をしていて、色んな方々に励まされ、そして助言をいただいた。この頃のDMを今でも読み返している。

あの日の事を、実ははっきりと覚えていない。

弟がどんな顔をしていたのか、相手が何を怒鳴っていたのか。

ただ、私にはもう何もないんだという絶望だけは覚えている。
たかが100万弱のお金と思う人もいるだろう。
それなりの会社に勤めていれば、恐らくすぐに貯められる金額。

けれど、私にはかけがえのない財産だった。
拠り所だった。

数年間、SNSを通じて支えてくれた遠方の友人や、高校の頃からずっとつるんでいる友人に泣きながら電話をして、きっとこれが彼らと話す最後になるだろうと考えていた。

もう、私はこれ以上弟にも母にも何もしてやれない。したくもない。する義理もない。
十二分に役目は果たした。

義理の父に性的虐待を受け、その息子である弟にお金を奪われ、母は何もできない。
私がこの家庭にいる意味って何だ。
サンドバッグか?

お手上げだ。
万事休す。

この時、どうやって死ぬかを朝から晩まで考えながら、笑って仕事をしていた。

怒り

同じマンションに住みながら、私は徹底的に弟を避けた。
運悪く顔を合わせても、私は彼に何も言わなかった。何度か声を掛けられた気もするが、全て無視した。

人間とはおかしなものだ。
あれだけ死のうとしていたのに、明日仕事があると思えば食事をし、睡眠をとり、職場では何事もなかったかのように振る舞う。

無一文になった日から数日、ふつふつと怒りが湧いてきていた。
そして、あり得ないほど食べた。
これは笑い話でも何でもない。
怒りのやり場がなくイライラし続け、気が付くといつも何か食べないといられなくなった。

介護の現場から退いてただでさえ太ってきていたのに、ここで更に体重の値は大きく跳ね上がった。
それでも食べるのをやめられなかった。
弟と顔を合わせないように、家ではいつも部屋にこもっていたが、常にお菓子を持ち込んでずっと食べていた。

好きなものを食べて何が悪い。
食べなければ頭が働かないんだ。仕事ができないんだ。

今思うと、この時点で既に生きようと考えていたのだと思う。
生きるために食べていた。
私の年齢では、一度太ったものを戻すのは至難の業。
それを知りつつ狂ったように食べていたのは、食べることが生きることだと認識していたからだろう。

どうして私がいつまでも家族の犠牲にならなきゃいけないの。
私は私の人生を歩んでない。
やっとやりたい事が少しずつできるようになってきたのに、何度も家族に足を引っ張られて、本当にこのまま死んで後悔しないか?

食べながら、ずっと自問自答していた。

行動開始

残高が数百円になった通帳を見て、私に何も言えない弟を見て、そして、弟を見限れない母を見て、今しかないと思った。

今ここで動かなければ、私はこの家にきっと最後まで使役される。

子供の頃から今まで、『家庭の中での私の役割』というものを勝手に作って演じてきたのは私自身だ。
それはきっと、最初は大人達が自分に望むものを無意識に感じ取ってきたのが始まり。
役柄はいつしか私の人格そのものになっていて、役から抜け出せなかったのだ。

心配した友人が弁護士を紹介してくれた。
私は一人でめったに使わない高速を飛ばし、遠い町の弁護士さんに会いに行った。
包み隠さず状況を伝え、言われたのは「まずあなたが家から出てください。このままではあなたが潰れます」。

フォロワーさんにも友人達にも言われた。
全く同じことを。

この時もまだ、私の心の底には「本当にそんなことをしても良いんだろうか」という気持ちが残っていて、それが本当にもどかしかった。

しかし、そこからは本当に早かった。

母には冷静に気持ちを伝え、別居に応じてもらった。
私が腹をくくったことで、母の中にも覚悟が生まれたようだ。
癌を取り切って、仕事もできるとお墨付きをもらったのも大きい。
私がいなくとも、どうにかやっていくと言った。

すぐに銀行から引っ越し費用を借り、部屋を探した。
ちょうど新築アパートが出ていて、日当たりは本当に悪いが綺麗で設備が充実した部屋。
私は借金をどうしても作りたくなくて今までぐだぐだしていたのだが、そんな事を言っている場合ではなかった。

部屋探しと並行し、仕事も探した。
これはもともと年度末までの契約だったからというのもある。
初めてのエージェントを通じた転職活動だったが、運良く資格を活かせる職場に出会い、入居とほぼ同時に転職が決まった。

引っ越し費用をケチったため、自家用車で自力の引っ越し。
持ち物は少ない方と自負していたが、実際に運んでみると「業者に頼んでおけば」と後悔しかなかった。
その上、日用品や寝具の買い足し。ニトリとダイソーには感謝しかない。

そんなわけで、私は今、職場からほど近い場所でこぢんまりとした一人暮らしをしている。
半月経つが、狂おしいほど求めてやまなかったお菓子の類はほとんど食べていない。
毎日のように食べていたのに、この部屋に住み始めてからは買ってまで食べようと思わなくなってきた。とはいえ、休日前夜は小さな宴を催したりもするのだけれど。

着るものがない

過去最高体重になって、今まで来ていた服の多くが着られなくなった。
気に入っている制服たちなのでまだ処分はしていない。
けれど、今着られるものがほとんどない。

今の自分に新しい服は着せたくないと思う一方、手持ちのスウェットやパジャマを私服の制服化に登場させるわけにもいかない。

通勤服は既に制服化したから、問題は休日の私服。
週2回の休日は、一人暮らしになってから実はほとんど外出していない。
副業が忙しいし、休みの前日にしこたま野菜や肉を買って作り置きをしているから出かける必要がないのだ。

しかし今月は友人との食事の予定を入れてある。
葛藤した挙句、ユニクロでブルーのニット、GUでライトベージュのスカートを買った。それぞれデニムとピンクのニットを合わせるつもりだ。
これでとりあえず2セットの春秋冬の制服ができたことになる。

家を出て食生活が健全になりつつあるから、夏までの様子を見て、もし元に戻っていたら昨年の服をそのまま。太ったままなら買い替えを検討しなければならない。
もともと夏服はアップデートしたいと考えていたけれど、できれば元のサイズでのアップデートがいい。

この数ヶ月、正直なところ自分を飾ることなんて考えられなかった。
Twitterを見ては、他の人が妙に輝いているように感じて自分が惨めだった。

ようやく、ここまで戻ってこられた。

最後に

正直、こうして記事を書いている今も恐ろしい。
また電話が鳴って、弟の尻拭いを迫られるのではと。

きっとこの先、ずっとこうして怖がらなければならないんだろう。

私が死ぬまで。弟が死ぬまで。
縁を切る法律ができたらいいのに。そう思う。

確かに弟妹を大切に思った日々があったのに、今はそれが幻のようだ。
自分がこんなにも家族を心の遠くに置けるようになるなんて、本当に不思議だ。
幸せな人から見れば、きっと理解に苦しむだろうし私を勝手と思う人もいるだろう。
事情なんて外側から見るだけでは分からない。色んな考え方があって然るべきで、私も自分の選択全てがベストだなんて驕るつもりはない。

ただ、これだけは確かだ。

私は今、人生で一番自由だ。







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