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cotreeのカウンセリングを受けた話


つい先日まで、1ヶ月間cotreeの書くカウンセリングを受けていた。

私はずっと、もうずっと昔から抱えていた――囚われていたと言った方が正解かも知れない――子供の頃の体験が、自分の人生に少なからず影響を与えていることを自覚していた。それが決して好ましいものではないことも理解していた。
かつて、それに向き合おうとして病院でカウンセリングを受けたこともあったが、金銭面の問題や仕事を休めないという理由で途中からやめてしまった。一緒に戦おうとしてくれた人も裏切った。当時は20代の終わり。仕事に限界を感じ始め、祖母が認知症になり、全てに行き詰まっていた頃だった。

あれから長い時間が流れ、現在の私は40代半ばに差し掛かる。世間一般では十二分に大人とされる年齢。自立した人間であるべき年齢である。
しかし私は、自分の中にまだ子供の自分がいることにずっと気付いていた。
それを癒すかどうにかしてやらねば、恐らくはずっと、多分死ぬまでうじうじと燻り続けていくであろうことも予想がついていた。だってもう30年も燻っているのだ。いい加減決着をつけたい。ずっと頭の片隅でそう考え続けてきた。
多分、もう自分一人の脳内であれこれ考えたところで答えは出まい。自分の小さな枠組みの中で考えあぐねたところで堂々巡りになるに決まっている。だってこれまでがそうだったから。

私は2月に社会福祉士国家試験を受けたが、それが終わったら好きな事を沢山しようと決めていた。
カウンセリングはその中の一つ。
ただ、田舎住まいである事や相変わらず金銭的に余裕がない事もあって、なかなか踏ん切りがつかなかった。
そんな中cotreeを知ったのは、Twitterで知ったひらやまさんのnote記事を読んだからだ。

ああ、これだと思った。
このサービスならきっと、何か私のこのもやもやが晴れる道が見付かるかも。
こういう時の私は、普段慎重な分の反動なのだろうか、一瞬で決断を下す。
試験の終了、そして給料日を待って(現実的……)、書くカウンセリングに申し込んだ。
cotreeには実際にカウンセラーと『話す』カウンセリングと、メッセージのやり取りを行う『書く』カウンセリングがある。
ここでちょっと迷ったが、変則勤務でなかなかまとまった時間が取れないのと、部屋のどこを背景にしても生活臭がにじみ出る為、ビデオ・電話の話すカウンセリングは諦めた。

マッチングして下さったカウンセラーさんは、私のまとまりのない言葉を一つ一つ丁寧に掬って、まとめて、要約してくれた。そして控えめな言葉で、私のずっとほどけずにいた感情を紐解いてくれた。
依頼した当初は子供の頃の体験についてのカウンセリングだったが、いつしか話は仕事や弟妹の事にも及び、随分幅広く話を聴いて頂いた。自分でも『ピンポイントで、この問題についてお話をしなくては』と思うのだが、ついつい他の事にも及んでしまう。
これはきっと、自分では気付かなかっただけで、過去が様々な所に影響を及ぼしてきたからなのだろう。それこそこれまでの働き方や、これからの働き方、母や弟妹との関係、祖父母に対する想い、人生観にまでも。
しかしカウンセラーさんは私のとりとめのない、時に感情的な文章に真摯に向き合って下さった。きっと何度も同じ事を書いていたと思うのに、その度にきちんと分かりやすい言葉にして返して下さるのだ。そして少しだけ、私の心に問いかけて自分から答えを導き出せるように誘導してくれる。
自分一人の価値観や経験、倫理観で凝り固まってうまく言葉に出来なかった想いが少しずつほぐれて、『ああ、こういう事だったんだな』と毎回気付かされた。
散らばって片付けられなかった小さな欠片が組み合わさって地図を描き出すような、大きな岩が少しずつ砕けて散って、中から透き通る水晶が現れたような不思議な感覚。これは一人きりで考え続けていては絶対に経験できなかったと思う。

今回はカウンセリングを受けた理由については長くなるので書かないでおく。また次回以降、じっくりと書きたい。ようやく、感情を波立たせることなく文章に落とし込めるようになった。

最後に、cotreeの皆さん、そしてひらやまさん。
本当にありがとうございます。
問題の解決、という形ではなく、問題とどう付き合っていくか覚悟を決めることが出来ました。
これからは少し生きやすくなりそうです。

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