見出し画像

アッシュ・リンクスの持つ「女性らしさ」という記号について

 BANANA FISHはニューヨークでの抗争を描いたハードボイルド作品でありながら、少女漫画のカテゴリーに属する。私はその理由としては、ハードな争いを描きながらもアッシュと英二の絆がメインテーマになっていること、そして何よりアッシュ・リンクスというキャラクターの持つ「女性らしさにあるのではないかと考えた。今日は後者について話をしたい。

 まず大前提としてアッシュは生物学上と彼自身の性自認上において、紛れもない男性である。しかしながら、彼は作中ではほとんど男性として扱われていない。
 それはなぜか。理由は簡単なことで、アッシュが「男性らしい」男性に見えないからだ。アッシュはたぐいまれなる美貌の持ち主だ。作中に出てくる多くの男は彼と初めて対面すると、一見争いとは無縁そうなその見てくれからなめてかかる。そしてレイプをする。
「俺の女になれ」「お姫様」「一発やってみたい」「子猫ちゃん」
これらは決してアッシュに対する好意から出た言葉ではない。男性らしからぬ姿をした彼を蔑み、彼を支配の対象として見ているからこそ発せられる、アッシュという人間に対する侮辱だ。これは一種の女性蔑視だと私は思う。
 男性であるアッシュに対して女性蔑視と表現するのは一見奇妙に感じる人もいるかもしれない。それでもアッシュを初めて目にした男たちが、見た目において「女性らしさ」を感じさせる彼を一人の人間として認めない背景には、彼らの「男らしさ」への崇拝と「女らしさ」への蔑視があると言える。私としては、男性同士のグループ内において男性が「女性らしさ」を否定することも、女性蔑視に他ならないと思っている。BANANA FISHの中にはこのようなシーンが何度も意図的に描かれている。私は登場人物のほとんどが男性であるこの作品において、ここまでグロテスクな程に女性蔑視の描写をできる先生の技量は素晴らしいものだという感想を持った。

 番外編に収録されている「ANGEL EYES」の中に、私にとって印象的だったアッシュの台詞がある。
「あいつら―おれが逆らうと決まってあぜんとするんだ。それからムチャクチャ怒り出す。おれなんかが自分に逆らうのはさも心外だ―と言わんばかりに。」
 もちろんアッシュは本当に「お姫様」なわけではない。彼を蔑む男たちより何倍も優秀な頭脳と高い戦闘能力、有象無象をまとめ上げるだけのリーダーシップを兼ね備えているし、彼らに対して強い怒りの感情を持っている。だからアッシュはそう易々と連中の言うことを聞かずに反発する。
 そうすると何が起こるか。たちまち男たちはアッシュに怒りを覚えるようになる。なぜなら、彼らはアッシュに対して「お姫様」のように自分たちに従順であることを期待しているからだ。幸か不幸か美しい容姿を持つアッシュは見た目の通り女性的であり、周囲に対して従順であると信じて疑わないのだ。だからその偏狭な予想が外れると彼らは驚き、絶対に支配されるものかと反発するアッシュを生意気で腹立たしい存在だと思うのだろう。

 アッシュに対して性的魅力を感じているのも事実だろうが、セックスはそんなアッシュを支配し征服するための手段であり、「マウント」行為としての意味合いが強いと思う。フォックスなんかがいい例だ。
 

 この作品においてすごいところはこれだけではない。何より注目すべきは、アッシュ自身が争いの多いあの世界で弱点である自身の容姿を逆手にとって、寧ろ武器にしているタフさだ。彼は非常に聡明な人間なので、自分の持つ「女性らしさ」と周りの男たちが自分に対して向ける目線の内容を完全に理解している。そのうえで、手持ちのカードを最大限に生かし、弱点である美貌からなる「女性らしさ」を利用して戦うのだ。儚げな容姿で相手の隙を作ったり、時にはハニートラップを仕掛けて目的を達成したりする。そのうえで格の違いを見せつけ、男たちに勝利する。アッシュが他人を利用することに関する是非はともかく、彼は何度も打ちのめされながらも決して折れず、強かに生きている。
 私はBANANA FISH連載当時の社会の雰囲気を知らないのではっきり言うことはできないが、アッシュの強かな生き様は当時の少女たちにとってある意味で生きる勇気になったのではないだろうかと思う。彼の生き様は「決して従順になるな」というメッセージにすら感じられる。なるほど、これが少女漫画である所以かと私は一人で膝を打った。


 作品の連載当時から30年以上が経過した現在でさえも、女性を蔑む社会の風潮は存在する。それでも、様々なジェンダー問題に声をあげる人が増えてきたこの世の中に希望は確かにあると私は信じたい。ジェンダーの垣根が低くなってきた現代だからこそ、BANANA FISHが少女漫画の枠を超えて、女性だけでなくもっと多くの男性に読まれるといいなと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?