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ひとって…身勝手な生き物だから

 自分に必要とするものしか身体には入って来ないように出来ているように思う。

 私は、TV音声の仕事をしていた頃があり、その仕事をして初めて音について改めて感じたことが、ひとの耳ってとっても優秀だということ。

 身の回りには本当に色んな音があふれている。その中で、ひとの耳は聞きたい音、または聞かなければならないと思う音だけを優先的に選んで聴くことができる。しかも瞬時に。

これって凄い能力だと思う。
実は、ヘッドホンをすると本当に色んな音が聴こえてくる。ひとの耳はその色んな音の中から必要な音だけを、聴き分ける事が出来る。そこに意識が行くものの、音声マンはその音だけを聞いていたらいけない。他の音も全部聴かないといけない。


 突然だけど好きな人と別れて、雑踏の中に好きな人の面影を探すって歌の歌詞があったりするけど、まさしく。でも、好きな人の声も…探すよね。

他は何も聞こえない…恋は盲目って言うけど🤔それは耳にも当てはまる。探しているのは想う人の声…他の声は聞こえない。他のひとの言うことなんて聞かないのね🤭耳にも入って来ない。

 子どもの勉強にしても、勉強しようと、したいという本人の受け皿がなけば、吸収はしない。つまり、勉強はしない。周りがいくら言ってもしない。だから、周りが言ってはいけないとよく言われる。

でも不安だから言うよね。でも絶対聞かない(笑)

 結局、自分に受け皿があるものしか入って来ない。興味のある事しか入って来ないようになっている。色んな事がそうなんだということに、今頃気付く。今まで、嫌なこともしなければならないという使命感のようなもので生きて来たからか、そういう思考が無かった。

 もちろんやって来たものはとても興味を持って自分の中に存在している。そこに努力を積んだから出来上がっている今の自分もいる。壊れる程に嫌なことはもちろんやる事が出来ないから。その受け皿が自分にはあったのだろう。その受け皿がたくさんある人は幸せだね。 

出来れば幸せな受け皿であって欲しい。

写真は、立秋の日にやっと見つけたコスモス。去年の溢れ花だろうか。ところが、先日はスッカリ草刈り機で刈り取られていた…1年待って咲いたのだろうけど、草を刈る人には生い茂る雑草は見えても、数少ない溢れ花のコスモスは見えなかったのだろう。

求められていないものは、受け入れられない。 
ものごとだとそれもいいけど、それがひとだと…

ちょっと寂しいね。
そう思ったまだ暑さの残る初秋。
読んでいただきありがとうございます。

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