年が明けても
漆かぶれをすることが、はっきりわかったものの、新たに金継ぎ用のかけた食器を密かにバッグに忍ばせて家を出た。
なぜ密かになのかというと、かぶれることが分かってから、この年でなんだけど母親に反対されているのだ。本当にこの年でなんだけど。
それでも金継ぎ教室の先生も、一緒に学ぶ生徒さんたちもとても楽しく良い人ばかりで、教室へは行きたいんだなぁ。ただかぶれる。
楽しいし、皆さんのお話はとても愉快で心地よいので一緒にいたい。思い返せば、それはこれまでの私の人生においてもそうだった。
高校の部活動の水泳は、まあ素地はそこそこあったとはいえ、水泳が物凄くしたかった訳ではなく、水泳部の先輩たちが良い人ばかりで、一緒にいる時間が楽しかったからキツイ練習も乗り越えられたというか。
部活動の時間配分で言えば、2時間の練習のうち着替えと練習の合間合間の時間の約15分くらいのために、残り1時間45分を耐えて水の中で泳いでいたみたいな(笑)
大学の時も、かわいい後輩のために全く持って苦手な理由のわからない理論の発表論文をこらえて書いたみたいな(会計学研究会)
私は常に「人」によって色んな行動が決まって来るタイプなのだと改めて思う。
だから漆かぶれをしても精神力でカバーするみたいな…カバーできるみたいなことを思いつき、そんなことにずっと耐えて来た自分の身体を褒めて上げたい。
それでも心を大切にするというか、身体が多少苦しくても心が満足ならばそちらを選ぶということなのだろう。
例えばそれは、心が許さないことはやらないということだ。飛躍するかもしれないが死生観にも繋がることかもしれない。そんな自分をもっていたい。
そんなこんなで頑張って今年も通うことにして、昨年払っていなかった年会費を今年は初めから納め、ちょっと値上がりするというお月謝も、自分の心のために頑張って納めることにした。
お陰様で、それから春の展示会のお話が舞い込んで来ることになるのだが。こうなることになっていたのだと、かぶれるけれど続けることにした。
このあとちょっと仕事の都合で2回ほどお休みすることになって、かぶれもさほどではなくなった。月に1度なら耐えうるのであろうか?
お稽古ごとは、異業種の方たちと出会う本当に貴重な学びの場所で、「金継ぎ」が好きという共通のものが有るというそれ自体もなかなか希少な共通点で、私の場合はそれを介した皆さまが好きなんだけど。そんなことって有りでいいのかなぁ。
今日は、教室の先生のプロ級のクラシックバナナショコラケーキをいただき、絶対かぶれないぞと精神力のシナプスのようなものをピッピと発しながら楽しく金継ぎをして帰る。また次回が楽しみだ。
ありがとう
2024.1.25
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