失恋オムニバス【0216】
みぞれあめの
雨なのか雪なのか判断いかない粒が、窓の外では降り敷きっている。
この季節を表すかのような、みぞれ雨だ。
「みぞれ雨だね」
保村晴くんは言う。
いま、この教室に存在するのは保村くんとわたしだけ。
つまり彼はわたしに話し掛けている。
わたしは
「みぞれ雨っていうんだぁ!」
と、手を合わせて言った。
「保村くんって、色んな言葉を知ってるね!」
とも付けた。
わたしは保村くんが好き。
中学生のときからずっと好き。
好きになった理由は、ありふれたものかもしれないが『優しいから』だ。
わたしの中学のときの仇名は『ブビゴン』。
矢部美麗で『ブビゴン』。
体重九十キロオーバーのわたしへの蔑称。
ただ保村くんだけは、わたしのことを苗字で呼んでくれた。
それどころか毎日、挨拶もしてくれた。
わたしが彼に惚れるには十分な理由だった。
勘違いだってのは、わかってる。
彼が誰にだって優しいことくらい、わかっている。
だから好きになったのだ。
進路調査書を集める係だったわたしは、保村くんがこの高校への進学を希望していることを知った。
当時のわたしの偏差値では、入学は困難とされていたいたが、彼と同じ学校に通いたい一心で必死に勉強をした。
同時に、この醜い身体では彼の周囲に近づくことすらおこがましいと考え、ダイエットも決意。
大好きだったポテトスナックも止めたし、運動のためにバレーボールクラブにも入団した。
朝夜のランニング後の予習復習が日課となった。
そのかいあって、今こうして彼と同じ高校に通えている。
学力は保村くんを抜かしてしまい、まさかの主席合格だった。
三年間で一度も同じクラスにはなれなかったけど、それでもわたしの想いが揺らぐことはなかった。
入学時には、五十キロの減量に成功していた。
それでも運動は続けておこうと思ったので高校のバレー部に入部する。
バドミントン部である保村くんを、練習中に眺めるのが至福のときであった。
保村くんと仲の良い友人の話では、彼の好みの異性のタイプも『優しい人』らしい。
なので休日を使って定期的にボランティアに勤しむ。
ついでに、保村くんは英語が苦手科目だと聞いていたので、英会話を習いはじめる。
うちには金銭的負担をかけたくなかったので、受講料はアルバイトで貯めた。
いつか保村くんに手作りのものを食べて貰えたらなぁ。なんて妄想しながらお菓子作りの勉強したり。
理系である彼と話が合う人間になれるように、プログラミング言語を独学で学んだり。
そういった時間は楽しかった。
入学から二年生になるまでの間は、保村くんと九回も言葉を交わすことができた。
それだけでも幸せだった。でもさらに嬉しいことに、二年生の後期に彼と話す機会が急増する。
保村くんが生徒会に入るという噂を耳にしたのだ。
彼と同じ集団に属したい。そんな欲望を抱いてしまったわたしは、勇気を振り絞って生徒会役員選挙に立候補した。
これまで大勢の前で話すことなんてなかったので、演説のときは緊張で足の震えて止まらなかったのを憶えている。
そして、なんと、奇跡的に当選することが出来たのである。
……ただ、保村くんは落選してしまった。
「わたしは、なにをやっているのだろう」
そんなふうにも思ったが、ここで意外な展開が訪れる。
頻繁に保村くんが生徒会室に訪れるのだ。
なんでも副会長の男子と親しいらしく、役員の業務を手伝ってくれることもしばしばあった。
そのとき何度も言葉を交わすことが出来たのである。
「お、おはよう。保村くん」
「あ、ども」
みたいな感じ。
わたしの幸福指数は絶頂を極めていた。
ただひとつの難点としては、わたしが就いたのが会長職だったため、日々の生活が忙しくなったことくらいだろうか。
ともあれ、この生徒会室がわたしと保村くんを繋ぐ憩いの場であることは間違いなかった。
彼について、いろいろなことを知った。
いま流行の和風剣戟奇譚マンガにハマっていること。
カワイイ系より、モデルのようなキレイ系が好みの女性像であること。
将来の夢が宇宙飛行士であること。
それらは全部、副会長との会話を聞いていただけだが。
普段あまり漫画本を読まないわたしだったが、彼が好きなものなら知っておきたいという理由で読破する。
同時にファッション誌も読み漁り、流行のモデルコーデなるものを取り入れる。
ただ芸能プロダクションからスカウトを受けたときは、学業優先ということで丁重にお断りした。
実際は保村くんとの時間を削りたくなかっただけだったが。
三年生になると逆に、激務から保村くんと話す機会は減った。
生徒会役員業務もそうなのだが、所属するバレー部が全国大会まで進出したため部長である、わたしは練習の時間を惜しむことができない。
地区ボランティアのほうも、代表として時間を割かなくてはいけないし。
英会話教室での海外スピーチは辞退するか本気で迷った。
なんとか部活は全国制覇を決め、MVPを受賞することが出来たが。それは同時に進路決定のときが近づいてきたことを意味する。
幸い六個ほどのプログラミング言語は扱えるので、手から職を落とすことはなさそうだが、できれば保村くんと同じ道を歩みたいとも思う
彼は数Ⅲで挫折したため、文系の大学に進むようだ。
しかし、わたしは推薦をいただいた自然科学系の大学へ行くことを決めた。
彼が志していた、宇宙飛行士とはどんなものなのか。体験したいと考えたからである。
そのため一層の勉強に力を入れることとなり、気が付けば卒業も間近。
今日。みぞれ雨が降りしきる、この日。
最後に、お世話になった生徒会室を掃除しようと立ち寄ると、保村くんがいたのだ。
三年間を振り返り、感慨に浸るため。校内を回っているのだという。
なんてロマンティックで素敵なのだろう。
そういえば、先日のバレンタインで友チョコとして作ったチョコレートクッキーの残りがカバンにあることを思い出す。
高校生活最後の思い出として、彼に受け取ってもらえたら嬉しい。
そう考え差し出すと、「ゴメン。いま虫歯の治療中で」と断られてしまった。
「虫歯ならしかたないかぁ……」
では、この千載一遇のチャンス。彼と二人きりというシチュエーションで、他になにか思い出に残せるようなものはないだろうか……?
告白。
昔のわたしなら、そんなおこがましいことなんて出来るはずもなかった。
だけど、わたしは保村くんと少しでも釣り合えるように努力してきたつもりだ。
長年、彼に振り向いてもらいたい一心で、頑張ってきたつもりだ。
たくさん勉強した。技術も積んだ。
性格も明るく優しく振舞ったし、オシャレにも気をつかった。
全部。
全部、全部、全部。
全部、全部、全部、全部、全部、全部、全部、全部、全部、全部、全部、全部、全部、全部、全部、全部、全部、全部、全部、全部、全部、全部、全部、全部、全部、全部、全部、全部、全部、全部、全部、全部、全部、全部、全部、全部、全部、全部、全部、全部、全部、全部、全部、全部、全部全部、全部、全部、全部、全部、全部、全部、全部、全部、全部、全部、全部、全部、全部、全部、全部、全部、全部。
保村くんが好きだったからだ。
いまのわたしが在るのは、保村くんのおかげなんだ。
そんな記憶をたどったとき、わたしの想いが溢れ出す。
「保村くん! あのね」
突然声をあげたわたしに、ビックリしたのだろう。
保村くんは目を大きくして、こっちを見る。
「な、なに?」
「あの、……ね」
ドクン。ドクンと。
心臓が早くなる体験にも、だいぶ慣れてしまっているわたしがいた。
「保村くんが好き。ずっと、好き……」
雨粒が凍てつき、雪となる。
冷えて氷となることで。水は固く強度増す。
「……でした」
人生初の告白は、過去形だった。
わたしは保村くんが好きだった。
その熱量を糧に、わたしは色々なことに取り組んだ。
その過程で、わたしはわたしが強く形成されていくのを感じていた。
脂肪の塊でしかなかった『ブビゴン』から、意思を持った矢部美麗に成っていくのを感じていた。
いまの自分を好きになっていくの感じていた。
そして、保村くんへの熱意が冷めていくのを感じた。
もう保村くんがいなくても、頑張れるようになっちゃったから。
バレーボールは楽しかったし。
地域の触れ合いはかけがえなかったし。
宇宙飛行士だって、本当は自分の夢になっていた。
今また、保村くんに夢中になると。今度はそれ以外が見えなくなってしまいそうで怖い。
それ以外が冷めてしまうような気がして。
たくさん出来た他の大切なものが、ないがしろになっちゃう気がして怖い。
「急に、ゴメンね? そう伝えたかっただけだから」
だから、わたしの告白は過去形でいい。
「好きにならせてくれて、ありがとう」
そう言って、わたしは。彼を残して生徒会室を出る。
涙腺すらも凍てしまったのか、目から雫は落ちてこなかった。
今日ってこんなに寒かったっけ?
「矢部さん!!」
振り向くと、生徒会室のドアから身を出した保村くんが、こちらに大声で叫んでいた。
「好きって言ってくれて、ありがとう!! すごく嬉しい。でもゴメン。俺、矢部さんとは付き合えない」
そんなことは知ってる。
知ってるから、そんな大声で叫ばないでほしい。
綺麗な思い出のまま終わらせてほしい。
「なんていうか、俺なんかじゃ。矢部さんと……、釣り合わないと思うし——」
そんな定型文で……、追い撃たないでほしい。
「——だから!!」
それでも彼は叫んだ。
「待っていてください。俺が矢部さんに追いつくまで……、頑張るから!! 俺、いつか矢部さんの隣を歩けるように努力するから!!」
予想もしない言葉に、顔が熱くなる。
「だから、そのとき……俺のほうから、ちゃんと。告白をさせてください!!」
雪が溶けて、みぞれとなる。
凍っていたはずの雫が、頬を伝うのを感じた。
「……はい」
わたしが好きになったのが保村くんで良かった。
そんなふうに、思った。
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