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ボカロ曲『私は、私達は』深掘り

今日は、Guianoさんの『私は、私達は』から書いてみようと思います。
可不の静かに訴えるような声と、間奏のメロディーが癖になり、ずっとリピートしたくなる曲です。

元気になれる曲なので、関心を持たれた方は是非聞いてみて下さい。


この記事では以下の歌詞を中心に、気づきや感想を共有できればと思います。

人は欲しがる存在証明とか
特別、個性とか必要ないの
私の苦悩その答えを歌ってやるだけさ

私は、私達は/Guiano

「人は欲しがる存在証明とか 特別、個性とか」
とあるように、とにかく自分の存在をアピールしたくて必死なのが、私たちだなと感じます。

普段はあまり意識されないかもしれませんが
もし、勉強仕事スポーツ芸術など、自分よりできる人が側にいて、自分は全然注目されないとなるとどうでしょうか。
私のことをもっと見てほしい、そんな気持ちになってこないでしょうか。

あるいは、自分の行為が全く人の役に立った感じがせず、自分はいてもいなくても同じ存在なんじゃないかと思えてくる。
誰しも、なんとなく感じたことはあるかなと思います。

そんな時は、秀でた才能や他人にはない自分だけの個性、周囲に影響を与えたんだという実感が、欲しくてたまらなくなります。
皆さんは、そんな気持ちになったことないでしょうか?
私はことある毎に思います。

自分の存在には、意味がある価値がある。
そう思いたくて、存在意義の証明と実感を渇望している心が知らされます。

曲では、「必要ないの 私の苦悩その答えを歌ってやるだけさ」と続きます。
日々悩み苦しみ、それを乗り越えていくその軌跡は、間違いなく自分だけのもの。
特別秀でた才能がなくたって、私は、あなたは、唯一の存在。
だから特別になる必要なんてなくて、自分の歩みをただ叫べば良い。
そんなメッセージに思います。

他にも曲中で
「私は私だから迷うことはない」
「怖いものはない 恐れはしない」
というフレーズが繰り返されています。
皆さんは、Guianoさんの『私は、私達は』をどのように受け取りますか?

私は私、誰であっても代わることはできない唯一の存在なんだ、何も恐れず自分の道を歩めば良いんだ
と、とても勇気づけられるなと感じます。

ここでハッピーエンドで記事を終えたいところなのですが、個人的にどうしても心残りがあります。
何かと言うと、自分の存在には意味があると思いたいけれど、本当にそうなのか?と疑問に思ってしまいます。

唯一の存在であるからといって、必ずしも意味や価値があるということではないと思います。
例えばビンゴカードは、1枚1枚数字が異なっていて同じカードはありませんが、揃わなかったカードは景品と引き換えられず、ゴミ箱行きです。

私たちは一人一人かけがえのない存在ですが、そんな私たちの意味や価値は一体何でしょうか。
皆さんはどう考えますか?

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