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健康話は会話の潤滑油

先日読んだ、「一橋桐子の犯罪日記(76)」の一節にこうある。「若い頃は自分が病気の話をして、そこそこ楽しくなる年寄りになるとは思わなかったな、と思う。けれど、それが現実なんだ」。そう、そこそこ楽しいんです!
高齢者というほどでもなくても、40代くらいになると「健康話が多くなってきたなあ」と自分たちを評する人が増えてくる。そのときってなんかみんな笑顔、というか苦笑い。自虐的に話していても、それがほんとに嫌、とは思ってないのです。
わりと楽しい。罪のない、会話の潤滑油。
お天気話よりはずっと実用的で切実で…人生を大きく左右するもの。
親しい人が30代で急に難病になったのですが…本人は明るくあけすけにそのことをよく話していた。40歳前後のとき同窓会に出席したところ、同年代女子が具体的な話を次々に聞きにきたと笑った。「みんな興味津々。関心大きいんだねえ」とのこと。
病気になりたくてなる人はいないし、できればなりたくない。生活の質やときに命に関わる重大事件。そして、誰もが等しく病気になる可能性はある。ときに前触れなく。また、老化による体の変化から逃れられる人もいません。
どんなに強健な体の持ち主だって、年齢がいけば「健康」に無関心ではいられなくなる。
年取って体が弱るって辛いだろうな悲しいだろうな…と想像していた。もちろん嬉しくはない。けどわりと心穏やか。「老化」って誰にとっても生まれて初めての体験だから、新鮮な感覚もある。
予想していた「老化」と比べて、こういうことだったのか!とわかることがたくさんあります。老化や様々な病気のこと…ひっくるめて、「健康」話にまったく興味がない人なんて、きっといない。
ある漫画で、50代女性が息子ほどの年齢の男性と相思相愛になりデートを重ねるシーンがありました。男性はあっちにも行ってみよう!と生き生き行動するのにに対し、女性の心の中の本音は(そろそろ休みたい)…笑えました。リアル。
見かけはよぼよぼになっていなくても、誰もが少しずつ体力低下していく。
私の場合、ショッピングであちこちの店を巡るとき…以前なら5か所回っていたのに4か所でもういいや、ってやめてしまう。こういうとき、もしかして私って体力なくなった?と自覚します。
健康話に罪なし。万人の生活に関連した、そこそこ楽しい話題です。

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