記憶の不思議
一人の人間が持つ膨大な記憶。もちろん、すべてを覚えておくことなんてできなくて。
数年前、母親の実家に行ったとき、その家の方から言われたのは、「近所の○○ちゃんが懐かしがってたよ、文通してたって」。私が小学校低学年くらいのとき仲良くなった子と、お手紙のやりとりしていたらしい。まったくひとかけらも記憶にない。子供のときのこういうことは、誰しもよくあることだろうけど。
十分大人になってからでも、なんでそれ忘れる?ってことがあって、不思議です。
けっこう特別な出来事でも、スポーンとすっかり記憶から消えてしまう。そういうこと、普通に誰でもよく起こることなんだそう。脳のメカニズム上…と何かで読んだと思う。
友人A、Bと、かなり特殊な場所で和のコース料理を食べたことがある。Aと会ったとき、そのときのことを話題にしたら、“私は行ってない絶対”と言い張る。自信満々ぶりにうろたえ、えっ私の思い違い?そんなはずは…。後日Bに聞いたら、3人で行ったよ?なんでA忘れているの?と首を傾げる。そうそうだよね。
Aは大きな役職につきバリバリ仕事していて、超優秀な人。そんな人でも、スポーンと記憶から消えてしまっていることってあるんだ、と思いました。うん、Aでもそうなんだから、ほんとに誰でもよくあることなんだと納得。
似たようなことで、やはり友人C,Dと日帰りで伊勢原へ行ったときのこと。参道の山道登って、豆腐料理食べたり眺めを楽しんだり。…が、子連れでけっこう大変そうだったCも、やはりそのときのことをまったく覚えていない。絶対行ってないと主張して譲らず。
私の“記憶にございません”経験は…
郷里の知人が、横浜に来たとき私に連絡取り会ったらしいです。“あのときは急で悪かったねありがとう”、と彼は笑うのだが、曖昧に頷くしかない私。そう、まったく覚えていない。本当に私の記憶からすっぱり抜けている。この感覚、まさに狐につままれたよう。
ちなみに、その人のことは大好きだし、きっと楽しい話が尽きなかったはず。それなのに、どんな話をしたかまったく覚えてないなんて、すごく悔しい~。
認知症って、きっとこういう出来事が多くなるってことなんだろうな。
アンソニー・ホプキンス主演の映画「ファーザー」は、認知症本人の視点から、物語が描かれていて、リアルで哀しみがあった。が…多分、記憶の衰えは、認知症と診断されなくても、ある程度は皆訪れるであろうはず。
記憶が薄れる、忘れる、混濁する、すり替える…幼少期から自覚ないまま、それらのことを繰り返し、私たちは、圧倒的な“自分だけの記憶”を創りあげているのかもしれない。
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