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芸術と文章・表現活動の違い

絵描きは長生きで小説家は短命…と、どこかで聞いた覚えがあるし、事実そう感じること多し。人それぞれなんだろうけれど、全体的にそういうイメージあります。けっこうあたっていると思う。
どんな表現活動も、自分の中にあるものを表出するけれど、絵や音楽などの芸術と、文を書くことでは、活動している本人の意識の差が大きい。
昔、某出版社で記者の仕事をしていたとき、同業他社の記者さんが仕事を辞められると聞いた。最愛の恋人が亡くなったことでまったく文が書けなくなったという。わかるなあ、と思った。文章って、ある程度気持ちが冷静でないと、絶対書けないと思う。激情のまま書かれた文って、読むのが辛いこと多いし。少なくとも、“作品”には、ならない。
文を書くのは、“ただ楽しくて夢中でやる表現活動”とは少し違う。そういうときもたまーにあるけど、ほとんどがそうではない。書く手が止まり、自分の心の闇をのぞき込み翻弄されてしまいそうなときがあります。
短歌とか俳句とか…特に俳句や川柳は、言葉遊び的部分が強くて、決まりごとがあるために、底なし沼気分になることを避けてくれる。決まった字数に言葉が収まれば、“作品”と一応呼べるものができて達成感あるし…だから、広く庶民に受け入れられてきた。
芸術は、自分を表現する、といっても文とはまったく別物。音や絵で表現するのは、たとえ苦しい切実な思いが滲み出ていたとしても、そこには眩しい“健全”さがあると感じる。その表現活動をしているときは、ただただ夢中。この、“やりたいことに夢中の状態”により、自然と心が悩み事から離れ、精神を健やかにさせているかと。それ、すばらしいストレス解消法。だから、「絵描きは長生き」と言われているのだ。
“ストレス少なそう絵だけに夢中の人”としては、葛飾北斎が思い浮かぶ。そして、彼の娘お栄。その物語をTVドラマで宮崎あおいが演じていてとてもよかったな。特に、年を取ってからの描写。独身で居候の身で離れの室内で、絵描きに没頭していた。世事に疎く身なりかまわず、ただ、自分が思う絵を描くことに一生懸命。上手く描けたときのうれしそうな顔といったら(宮崎あおい凄い)! こういうふうに生きられたら幸せだろうな。
文を書くのは、こうはいかない。常に自分の心を見つめながらの二人三脚。文での表現活動全般、とっかかりのハードルが低い分、突き抜けた表現は難しい。筆力、努力プラス心のストレスとがっつり取り組める人が、すばらしい作品を残しているんだなと思う。
昔ある美大出身の方が言った言葉、プロもアマも関係ない、表現は自分自身をかけてやるもの…それは、芸術活動も文章活動も同じ、と思うけどね。

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