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「誰かの花」を観ました

「誰かの花」観ました。横浜にあるミニシアター、ジャック&ベティ30周年記念企画として制作された作品です。すっきり爽やかな後味とはいかない…苦さが残りますが、それもしみじみと良かった。途中から、「由宇子の天秤」と比較して観ている自分がいました。そういう方多いかと思います。それは、状況は違っても、安穏としていた自分の家族が犯罪者家族になるかもという恐怖。
ある男性が、団地のベランダから落下した植木鉢の直撃を受け救急搬送されます。それに認知症の父親が関わっているかもしれないという疑惑…心が落ち着かない息子に焦点をあてて話が進んでいきます。
息子、寡黙だなって最初思ったけれど、こんなもんですよね、むしろ親孝行で親との交流盛んな方かと。一人暮らししていても普段から頻繁に実家の団地に出入りし、両親を気にかけているのがわかる。
人々の多くは、ニュースで犯罪や酷い事故のニュースを見たとき“突然被害者となる不幸”を想像して震えあがります。この映画の親子は、兄を事故で亡くしていて、生涯癒えない心の痛みとやるせなさがよくわかっている。
けれど、そのことは、加害者家族になるほどには悲惨ではなかったのだ。被害者になることは悲劇ではあるけれど、圧倒的に同情の対象であって、けっして非難の対象にはならない。“家族全員が社会規範を逸脱せず善良に生きている”と信じてきた人々は、まさか、自分たちが加害者側になるなどと、想像したことがない。
昔、ある映画監督が何かで“自分の家族が殺人者になったらと考えぞっとした”と、作品制作の動機を話していてた。それほど“加害者家族になりたくない”気持ちは、強いもの。
人は誰もが保身する。加害者家族になる=人生の破滅と捉えるならば、たとえ誰かを犠牲にしても自分を守るしかない。
ヘルパー女性が言う「絶対間違ってますよ」…当事者以外はいくらでも言えるきれいごと。
いっそ良心がなければ楽なのに、人は“悪人”になり切れないから悩む。
これほどの大事件でなくても、保身と良心の間で揺れる気持ちは、多くの人が共感できるかと…すべての人の日常に潜んでいる。心に残った小さな石ころ。その重さが意識に上ってくると不意に泣きたい気持ちになったりして。誰にも明かしてないことや墓場まで持っていく秘密…一つや二つ誰にでもあるかと思います。
息子が働く鉄工所の風景は、彼の心象そのもの。殺伐とした工場内。一方的に雄弁に語る不自然さ、夜一人で火花を散らし作業する姿…彼の気持ちに同調せずにはいられません。

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