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映画「そばかす」観ました…アロマンティックアセクシュアルのこと

アロマアセク(アロマンティック・アセクシュアル)の悩みを扱った作品です。主演は三浦透子さん。
主人公は、コールセンター勤めの30歳女性。結婚相手を早く捕まえろの圧力が…主に母親から…強いお年頃です。が、そもそも本人に恋愛したい気持ちも性欲もない。
故に、本人にとっては、社会生活自体が、いろいろしんどいことだらけ。友人との会話がかみあわなくても、本音を伝えられない。相手をドン引きさせると思うから。
「人はみんな恋愛をするもの」とされている、社会の常識そのものが、彼女には苦痛なのです。その苦しさが、切実に伝わってきます。昨年のNHKドラマ「恋せぬ二人」も思い出される。
世界中で、異性愛こそ人生の王道とされているのは、子供をつくってくれなければ国を支える労働者がいなくなるというわかりやすい理由があり、法律でも、異性愛者で異性との性交を好み、家庭を築き子供を持とうとする人々を応援している。
そういう意味では、“自分の子供を持てない困った人たち”という点では、ゲイ・レズビアンもアロマアセクも、同じなはず。が、現実には、とても大きな違いがあります。後者の方が、はるかに、生きづらい。
ドラマも歌も小説も、恋愛の喜びや苦しみを扱ったものが多く、「恋愛は生きる醍醐味」という不文律に満ちています。いくら苦しくても人は恋愛してしまうもの、食欲や睡眠欲と同じように人は誰しも恋愛する…ことになっている、世界中で。
だから、性欲のあるなしはまだしも、「恋愛感情を持たない」人がいることには、多くの人が戸惑いを感じてしまう。これほど、LGBTQの研修や学習が職場や学校で盛んになり、性に関する多様性について広く受け入れられるようになっても…アロマアセクは、別次元的に、社会に受け入れられることが難しい。
「恋愛感情を持つ持たないは人それぞれ」と皆が感じるようになることは、恋愛感情はあってもなかなか恋人ができない結婚できない、という人たちをも強力に救う。
恋人ができない自分は変?という、コンプレックスを抱かなくてすむ。そのことを、嘲笑されたり貶められたりマウント取られたり、ということがなくなるから。
恋愛至上主義(至上の変換は市場になって、それも間違いないなって思った)がなくなることは、誰もが生きやすい社会への大きな扉、と感じます。
それにしても、タイトル“そばかす”には、どんな意味が込められているんだろう。主題歌は羊文学塩塚モエカさん作で、歌っているのは三浦透子さん。これも熱い、ね!

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