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首都圏で暮らす有り難さと地方との格差について

数日前に、地元電車のダイヤが改正になった。乗り換え電車の時間タイミングがまだ慣れない。前より便利になったかどうかは、今のところ判断できず。
が、それでも、どんなに不便になろうが、たかが知れてる。1時間に1本の電車…ディーゼル機関車の場合も…さえ、確保されない地方に比べれば。赤字を理由に電車の線自体がなくなることに比べれば。
相鉄線と東横線も乗り入れるそうだし。この十年二十年だけでも、首都圏の電車移動の便利さはとんどん高まっている(厳密に見て、真に生活のプラスになっているかどうかはさておき)。どんなに景気が悪くなろうが、その勢いが留まることはないのです。
こうした移動の便利さひとつとっても、首都圏がどんなに恵れていることかって、ずーっとここで暮らしていると忘れがち…田舎育ちの自分でさえそうなんだから、いわんや首都圏でしか暮らしたことがない者は…。それは当たり前で、首都圏暮らしの者があまり頻繁に首都圏暮らしを有り難がっていると、なんか嫌な感じ。「耳が聴こえて有り難や」「歩けて有り難や」…と言うのと同じこと。
誰だって、自分の今の環境…個人的なことも社会的なことも…を受け止めながら、各々が毎日の生活を送っているわけで、住んでる場所の違いで、その大変さを一概に比較することはできないけど。
やはり首都圏暮らしの人たちに、都会と田舎の格差に、敏感になり危機感も抱いてもらいたいと思うのです。首都圏は、日本全体から見れば、面積的にも人口的にも一部にすぎず、地方の問題は、自分たちの問題でもあるんですよ、と。
とはいえ、やはり他人事に感じてしまうよねえ、というのもわかるのですが。
私は、首都圏で暮らす地方出身者として、どこか首都圏の便利さを享受していることに後ろめたい気持ちがある。人から「首都圏に住みたくて故郷を捨ててきたんでしょ」と批判されるのが怖い。言い返せない、でも、捨ててきた、わけでもなくて。
もう何十年も前に、「1票の格差」問題が大きくなったとき、地方で生まれ育った者は…過疎地域であればあるほど…もやもやしたと思う。それって数の論理で決めること?都会で暮らす人がますます有利になるだけじゃないのさ、と。
場所で生活の利便性に格差がありすぎるのは、日本人皆にとって不幸。間違いないことと思う。大事に思ってない人も、少し将来を考えてみれば納得できるかと。
過疎地域居住経験者が、その理不尽さを話す。首都圏暮らししか知らない人にも、想像力を働かしてもらう。それだけでも、まったくやらないよりはずっといいのです。

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