見出し画像

異世界転生モノには勧善懲悪が生きている

『本所おけら長屋』を借りていて、二十巻あるのでしゃかしゃか読んで楽しんでいます。

時代小説って今まであまり触れてこなかったけど、少なくとも『本所おけら長屋』は本質的にライトノベルとすごく似てる気がします。

というか読み味(?)がこれまで読んだりアニメで見てきたりした異世界転生モノと似ている、と何となく感じました。

何でなのかなあと考えたのですが、仮説の一つとして、多くの異世界転生モノと『本所おけら長屋』どちらも、勧善懲悪が生きている、ってところにポイントがあるのではないかと思いました。



転生するかどうかは置いておいて、江戸が舞台だったり中世の世界観が舞台だったりすると、「勧善懲悪」が展開させやすくて楽しいというのがどうしてもあると思います。

江戸だったら「悪代官」とか「金にセコイ商人」とか「辻斬り」とか、悪いものは悪い、っていうキャラクターを用意して、お馴染みのキャラクターたちが懲らしめたりなんなりしやすい。

悪いものは懲らしめられ、良いものが勝つ、という気持ち良い物語が作りやすい。

異世界転生モノでも物語を作る上で同じ都合の良さがあると思います。「悪行三昧の領主」「悪い魔法使い」「モンスター」などなど、自己裁量で、遠慮なく勝っちゃって良いキャラクターがいっぱいいます。

現代を舞台にするとこれが何気に難しいのではないでしょうか。

悪いことをする人がいるなら法に訴えるなり、警察に訴えるなりするのが筋ですし、そういう筋を通さないと主人公が正義を貫くことができなくなってしまいますから。


少なくとも僕が触れてきたいくつかのライトノベル作品の面白さっていうのは、もちろんキャラクターの魅力とかストーリー展開の魅力とか色々あるのですが、あと腐れも葛藤もない「勧善懲悪」が気持ち良いってのがやっぱり大きいと思います。

たまに、というか定期的に、現代の日本人(特に男性)のリセット願望が、異世界転生モノの流行に表れているみたいな考察がありますが、そもそも勧善懲悪の物語って結果が決まりきっていてもやっぱり単純に楽しいんですよね。勧善懲悪は大半の人が好きだと思います。

悪いやつはやっつけちゃって良い。好きな奴(主人公やその仲間)が最後に必ず勝つ。正しさを担保された状態で勝つ。これが気持ちええ。

それで言うと、現代でも勧善懲悪をベースにした物語というものはないことないのですが、どうしてもリアリティはいくらか犠牲にしなければならなかったりする。

その点、舞台が江戸とか中世らしき別世界だとすると、ベースがファンタジーだから勧善懲悪な物語もうまく馴染む。


『本所おけら長屋』は長いシリーズということもあって物語には様々なバリエーションがあります。

勧善懲悪というのは一要素でしかありませんが、『本所おけら長屋』を読んでいるときに感じた異世界転生モノとの接点をメモしておいて良いかもしれないと思い、ここに残しておくことにしました。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?