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短編:仮想魔術講義:悪魔とは

悪魔とは何か。

英語圏ではデビル、イーブルなどと呼ばれる。大抵は神に敵対するものとして描かれている。

しかし我々ヒトは彼らと敵対しているわけではない。

我々は神ではなくヒトであるからだ。

ならば彼らは我々の味方であるのか。否。彼らは悪性であるからヒトから悪とされている。

古来、魔術師は彼らを召喚し使役したとある。例にもいとまがなく、天使の召喚よりも容易く行われている形跡すらある。
それは何故か。彼らは召喚されたがっているからだ。その敷居低ければ低いほど、未熟なものに召喚され、容易くその悪性を発揮できる。

悪とはヒトにとって共通する害だ。いかに良い結果に見えようと、それは何かの害を及ぼしている。

生物にとっての害とは何か。命の剥奪、それではただの食事と変わらない。わざわざ悪魔が召喚や契約というプロセスを踏む理由がない。彼らはヒトよりもよほど強力な存在であるからして、捕食するだけであればどうにでもなるのだ。

悪魔は何故、ヒトと契約を結ぶのか。ヒトの願いを叶えるなどという回りくどいことをするのか。

これには明確な理由がある。代償を支払い、欲望を叶える。その悪魔がその時点で可能な範囲の願いの通りに結果を収束させる、といった方がより正確だ。どのような経緯を辿ろうと、それは悪魔には関係のないことだからだ。

しかし、これだけでは悪辣な経緯を辿るであろう未熟な契約にこだわる必要はない。ここに悪魔側の理由がある。

悪魔は魂を要求するといった伝承もあるが、魂などといった曖昧なものは未だ観測されていない。その血肉において重要だとされるシンボル、心臓や脳に魂が宿るのであればこの世の生物は全てが魂喰らいの類に他ならない。ただの消化器官にそんな機能があるなどとは考えるヒトはいないだろう。

なぜ、悪魔は主にヒトと契約をするのか。それは精神活動を行っている集団として、ヒトが魅力的であるからだ。悪魔にとってヒトが生物として優れているのは、生きる上で関係のない精神活動を行う生物であることだ。

その精神活動こそが彼らの求めるものだ。それが娯楽なのか、栄養源なのか、知る由もないが。

欲望、悪意、恐怖、絶望は、カトリックであると傲慢、強欲、嫉妬、憤怒、色欲、暴食、怠惰に分類される。

いかなる善意で召喚されようと、自らの、もしくは他人からの、これら感情からは逃れられない。

彼らは契約に従順だ。いかに理不尽であろうと契約を履行する。最も原始的で、ヒト同士と違い悪魔側から破棄されることがない。

だからこそ、彼らを呼び出した者に全ての責任は帰結する。ヒトの想像できる悪など知れている。埒外で起きる悪意に気づけるヒトなどいないが、かれらはそれらを好んでいる。

さて、ここに真新しい召喚の儀式の跡があるのだが、愉快な結末は迎えられそうかね?

……いや、もう迎えた後か。いやはや、近頃の若いものはメインディッシュを急ぎ過ぎているな。熟成された味を楽しむことを知らない。

好みはそれぞれ違うということかね。なるほど、多様性には寛容であらねばなるまいな。

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