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【読書メモ】体はゆくできるを科学する〈テクノロジー×身体〉著:伊藤亜紗

楽器で、難しいパッセージを練習している時に起きる現象があって、楽器をやっている人なら多分誰もが経験してると思ってるんだけど。

基本的には頭で理解したフィンガリングやボウイングを身体で上手く再現できるように、ゆっくりしたテンポから少しずつ速くしていって、インテンポでも再現できるようになるまで回数を重ねる。基本的にはこのアプローチだけど、全く別のパターンもたまにあって、それは頭が追いついていないのに指が正解通り弾いてくれるというもの。頭では「あーだめだ、追いつかない」と思っているのに「あれ、弾けてる?」ということが時々起こる。しかも一度この現象が起こると次から繰り返し正しく再現できるようになることが多い。感覚としては、体が先に進んでいて頭が後から追いつくイメージ。

頭で理解して→身体に落とし込む、というプロセスを前提に練習しているのに、そもそも前提としているプロセスが不完全のように思えてモヤモヤしていた。

『どもる体』の伊藤亜紗による本著では、楽器に限らず何かを「できるようになる」ために人間が(認知しているしていないにかかわらず)行っている試行錯誤を5人の研究者との対話を通して語られている一冊。
そこで明らかになるのは、身体と意識のずれというか不一致性。中でも桑田真澄の例がめちゃめちゃ面白くて、精密機械と言われる桑田もフォームは投げるたびにバラバラ、カーブの握りいたっては本人の意識と実際の握りは全然違うという(でもコントロールは完璧)。
これには合理性があって、マウンドの環境は球場や日によって異なるために、身体が冗長性を持たせている。同じフォームでしか投げられないと、その球は環境によって左右されてしまう。
身体が意識を超えて最適化されているのだという。

「できるようになる」プロセスには意識上でのロジックを超えた(というかそこから離れた)
身体の奔放さがあるという。身体は思い通りに動いてくれなくて困ることもあるけど(てか、その方が多いけど)、意外に上手くやってくれてるのねっていう。

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