見出し画像

恋は落ちるもの。どうしようもない自分と向き合い、自分の限界を超えていくもの。江國香織『東京タワー』

恋をして、相手を傷つけちゃったかな、というアラサーの方に。
「そうですね。恋は”する”ものじゃなくて、”落ちる”ものだと言いますからね。相手も自分も傷つくこともありますよね。」と言ったら。
「何それ!うける!」と笑われて、ちょっとショックを受ける。
そうか、江國香織さんの『東京タワー』って、そんなに昔だったか、と。

小説の出版は、2001年。
映画の公開は、2005年。
20年も前だったか。それは確かに、ジェネレーションギャップ。
でも今も、「恋はするものじゃなくて、落ちるものだ。」という一文が持つ力は、変わらず鮮明だと思う。

恋をすると、自分が自分でなくなる。
どうしようもなくみっともなくて、どうしようもなく恥ずかしい。
ちゃんと理性的に、ちゃんと客観的に、と思うのに。
恋という嵐の後に振り返れば、どうしようもなく、どうしようもない自分。

そんな自分になど、なりたくはないから。
わりと気をつけているのに。
確かにふいに”落ちてしまう”。

気がつくと、ざぶざぶと波にさらわれて。
あっちへ行ったりこっちへ行ったり。
上がったり下がったり。
静かな波間を泳いだり、嵐におぼれそうになったり。
とにかく感情が忙しいし、エネルギーをこれでもか!と使うので、とてもとても、くたびれる。
そして、そんな自分が嫌いになる。
うっかり落ちてしまったら、理性も、客観も、経験も、全く役に立たない。

人生で使えるエネルギーは、限られている。
ただでさえ、体力知力ともに、あまりたくさん持っていない自分なのだから。
もっと有益なことに、もっと自分にとってわかりやすくプラスになることに、使うべきだろう。
どう考えても、エネルギーの無駄遣いだ!といつも思う。
でも、たぶん、ちゃんとした自分だったら。
きっと見ない、見えないだろう世界を垣間見たりすることがある。
そして、垣間見た「なにか」は、たぶん自分にとって、大事なものなのだろう、とも思ったりする。

この先、何年後、何十年後かに。
また、どぶん!と”落ちる”ことがあるのだろうか。
そしてまた自分を大嫌いになるのだろうか。
結構なうっかりなので、たぶんまた落ちてしまうのだろう。
でも、せめてその時には、ぐるぐると、上がったり下がったりする波に翻弄される自分を、心ゆくまで楽しみたい。
自分ひとりの力では、見られない、触れられない世界を知ることができたらいいな。
そして、自分の限界を超えていけたらいいな。
そんな風に思ったりしている。