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大丈夫、ちゃんと血は止まる。言葉の力を信じて前を向く。

わりと真面目で。
わりと責任感が強くて。
人に頼むことがとても苦手だ。

働き始めてから、24時間の交代勤務が長かったので、自分のこの特性を意識することが少なかった。
介護の仕事は24時間365日。必然的にひとりで担うことはできないから。
誰かと協力せずには、仕事が成り立たないし、「頼む」も仕組みとしてできていたから、何とかやれた。

福祉の仕事とは言え、日中働く仕事になって、自身のこの特性が、ものすごくマイナスに働くことを知った。
誰かに迷惑をかけてはいけない、と思うから。
引き継いだ仕事を、必死で教えられた通りにこなす。
周りの人が困らないように、と思うから。
全般的にローペースだから、ギリギリになるけれど、自分なりに先を読んで、仕事をする。
そして、人に頼むのが、ものすごく下手くそだから。
自分ひとりで頑張らねば、と思って走り続ける。

そう思って、自分なりに必死に、自分の体力・気力の限界のギリギリまで、4年間頑張って働いた。
異動になって、後任の人に引き継いだら、「こんなにやってたの?!言ってくれれば手伝ったのに。」と言われて、膝から崩れ落ちそうになった。
頼んだけど、ものすごく嫌そうだったから、頼めなくなった。
頼ったら「それくらいできて当たり前」と言われたから、何も言えなくなった。
そうか、私の頼み方、伝え方が悪かったのか、と落ち込んだ。
でもそうだな、自分のやり方で、誰かに引き継ぐと、負担をかけてしまうんだな、と落ち込みつつ理解した。
今度は無理しないで、周りに頼ろう。
次に引き継ぐ人が困らないように、次は気をつけよう。
それが、周りの人のためでもあり、自分のためでもある。そう思った。

2年経って、3月、異動の内示が出て、新年度の業務分担が割り振られた。
どう考えても自分では担いきれない仕事量だし、こんな責任を負う立場でもないし、責任を負いきれる自信もない。
本当に、本当に、申し訳なさでいっぱいになりながら。
「本当に力不足で申し訳ないけれど、私はこの仕事をやりきる自信がありません。課のみんなで、少しずつ分担することはできないでしょうか?」
勇気を出して、震えながら、頼んでみた。
同僚に全力で拒否された。
びっくりするくらい、感情的に、「あなたが言ってることがわかんない。」と吐き捨てられた。
上司も、「まあ、やってみないと分からないからね。」と。

ああ、本当に、私は頼むのが下手だ。
精一杯、必死に頼んだのに、こんなにもあっさりと、感情的に、切り捨てられてしまうなんて。
もっと論理的に説明できれば。
もっと情に訴えるように、自身の立場を伝えられれば。
もっと戦略的に提案できれば。
自身の力不足を思い、切り捨てられた悲しさで、呆然として、頭が真っ白になった。
誰かに頼るときは、自分の弱さをさらけ出さねばならない。
断られると、刃物で切り付けられたように、心が傷つく。弱いところだからなおさらだ。未だに血が出る。

どうしたら、上手に頼めるようになるんだろう。
上手に頼めるように、上手に頼れるように、上手に甘えられるように。
ずっとずっと、そう願っているのに。上手くいかない。
頼って、断れるたびに、自分の何かが閉じてゆく。
もう傷つけられたくない、と、自分の周りに、かたい何かをめぐらす。

いつもは、言葉にすると、客観的になれて、少し元気になるのに。
ちっとも元気が出てこない。
そうか、思っているより重症なんだな、とふと気づく。
仕事にとどまらず、自分の人生そのものの足りなさまで、考え込んでしまっているから。
こういうときは、じっとして、血が止まるのを待つのがきっといい。
今までだって、そうやってきた。
大丈夫、ちゃんと血は止まる。
どれだけの月日が必要かはわからないけれど。
そう信じていれば、いつかは傷になって、触れてもわからないようになる。
傷つくような頼み方しかできなかった自分を責めるより、傷つかないような頼み方を考える方が、きっといい。この先の自分を助けてくれるはず。
自分が綴る言葉の力を信じて、前を向く。