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視覚について

見返した時にその時の考えを思い出せるように、という理由でnoteに文章を投稿するのと同じく、見返したときにその時の出来事を思い出せるように、という理由で人と遊んだ時などに風景や友達の姿の写真を撮っている。


私が撮った写真は、私が見た世界を再現したものであり、その世界に私の姿はない。
私の存在は視覚において透明だ。

視覚における自分自身の存在を、インカメラ、もしくは鏡や窓越しにしか認識できない。一番近くにいるのに、一番見えない、というのが不思議だ。

他人が撮った私の写真を見ると、他人の世界にこんなふうに私は存在するんだ、と知ることができる。それは少し恥ずかしくてかなり恐怖だ。自分が実態として鏡やインカメラの前以外で、存在するのだ。(今更?)

私は、ずっと1人で居続けることもできるのだけれど、誰かを認識して、認識されたい。
そして誰かのことを覚えていたい。
あなたと私が、ここに居た、という証明をお互いにしませんか?それは、私とあなたが一緒に居る理由だ。書いていてまるで意味不明だけれど、sincerelyだ。

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