必要なもの

要らないものだらけだ。

未来において、なんとなく困りそうだから欲しくなるだけで、現実問題なくても困らないものだらけだろう。

だから、現在、もしくは過去においてそれが不足することで、困っている、困っていた経験だけが私の中での、「必要なもの」だ。
未来を案じた結果、必要な気がするものは「不要なもの」である。

不足を恐れ多くを欲するのではなく、実際不足してから必要なものを手に入れるのではおそいのだろうか?経験から学ぶのは遅い?

過去において、それがなくて困った経験を思い出す。

まずは、信頼できる他人。家族も親戚も友達も、優しかったのに、私が相手を信頼することができず、うまくいかなかった。それが心身の負担になっていた。

次に、だ。合う薬にたどり着くまでは、常に身体と心の調子が悪く、その幅でしか行動を起こせず、広がりがなかった。

だから、それらは私にとって必要なものだ。

多分、それ以外は不要なんだと思う。
でも、不要だからといって手に入れないわけでは無い。

最近だと、サングラスとショートパンツを買った。外れたけど宇多田ヒカルのライブに応募した。
これからも、一年しか使う予定のなかったこのiPhoneSEを買い換えたり、財布を気に入ったものに変えたり、色々と、便利なものとか、新しいものとかに更新したい。昔やったラブアンドベリーのゲームみたいに、楽しみたい。

不要なものは、あったら更に楽しいというだけだ。必要なわけではないから、執着しない。

もういまは自分が困ってるとは思わないから、必要なものはすでに揃ってるんだろう。

自分が困っていると再度気づけた時、必要なものが見つかった時、私はまた前に進んでいるのだろう。

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