予防線

人と話してると、相手がやたら予防線を張るな、と思うことがあって。

有利な言葉の武装で身を固める様子を見て、もはや内容は入ってこないけど、相手に否定されたり、断られたりして、傷つきたくないことだけは伝わってくるのだ。


でも傷つくのを怯えたままで、人といて楽しいのかな?って思ってしまう。

わたしも、傷つきたくないこともあったけれど、予防線を張るのはもっと嫌だったから、自分にとって有利なことも、不利なことも、黙っていたら、まぁそれなりに傷ついて、結果として人を避けることもあった(アホ?)

予防線を張ろうとするとき、急に説明口調になって有利なことを語り始めたり、先回りして自虐したり、流れが不自然なんだよね。
自分がそちら側だからこそ、傷つきたくないんだ、というのがわかってしまう。まさに、他人は自分の鏡だ。

わたしは、傷つくことを恐れて、先回りして取り繕う、そんな自分でいることは、一番屈辱なんです。ダサい。ダサいのが嫌なんです。だから自分が嫌だったんです。あくまで、私は、というだけだけれど。

沈黙は金、雄弁は銀とかいうように、わたしさ上手いことを言うより、余計なことを言わないことを重視してる。

傷ついても大丈夫だし、傷つかないという自信があれば、下手に雄弁になることはない。

でも、無意識のうちに、傷つかないように、先回りして話してしまっていることもある気がする。自分ではわからないけど。そこをもっとクリアにして、私はもっと自然体でいたい。

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