【哲学】ピュタゴラス派とプラトン ―アリストテレス史観を相対化する―


哲学者としてのピュタゴラス入門としても使えるように書きました。プラトンのイデアとかアリストテレスの四原因説くらいの基礎を知っていれば読めます。


 今回の目的:
直接文献に乏しいピュタゴラスおよび「ピュタゴラス派」と名指される一派の思想・学説について、後世の人々による報告に頼るしかない現状を鑑み、それらへの見方の相対化を試みること。



 ただし、一口に「ピュタゴラス派」といってもそこには様々な思想家が各々特定できない形で含まれている(*1)し、後世の報告も多種多様で一種「神話」化したものまで見受けられる。

 そこで論点を明らかせしめるためにまず定位する報告として、もっとも普及しているところのアリストテレス『形而上学』を用いることにする。ともない『形而上学』でしばしばそうされているように、「ピュタゴラス派」内の様々な学説の可能性についてはいったん目を瞑る。こうもアリストテレスに頼ってしまうと相対化の途は最初から閉ざされているのではないか──と思われるかもしれないが、あえてアリストテレスに準拠することで内からの批判的検討が十全に行われるものと踏まえている次第である。

 
 さらに、検討するピュタゴラス派の学説のなかでも、今回は「プラトンに与えた影響」という一点に絞って議論を進めることにする。『形而上学』においてはプラトンの思想へピュタゴラス派の与えた影響がしばしば指摘されている。ただし、それはアリストテレス自身の存在論を導くために再構成された「出来レース」的解説であることを否定できない。よって、ここにも再検討の余地があるものと考える。

 本論の構成は、まずアリストテレス『形而上学』において、ピュタゴラス派の思想とプラトンの思想がどのような影響関係にあると紐づけられているかを確認しつつ、アリストテレスによる双方への批判を概観する。その後、アリストテレスが語らなかったような「ピュタゴラス派とプラトン」の影響関係を探る。

(*1)『ピュタゴラス伝』(『ソクラテス以前哲学者断片集 第Ⅲ分冊』所収)によるイアンブリコスの人名録によれば、「知られているものの名前」だけで男性218名、女性17名が「ピュタゴラス派」にまとめられていた(pp145~146)。かかる多数の人間を「ピュタゴラス派の思想」と一括りにして扱うことは憚られるが、残存する文献では各々固有の学説を満足に特定しがたいのも事実である。


1. アリストテレスの報告


 プラトンとピュタゴラス派の接触については、ソクラテスの死亡後からアカデメイアの開設までの間にそれがなされたという史実があるものの、他方プラトンの対話篇全体を通して、ピュタゴラスの名前はほとんど登場しない。

 にもかかわらずアリストテレスは『形而上学』において、プラトン哲学の成り立ちについて以下のように解説する。

 いま述べられた知恵の愛求[哲学]について、プラトンの哲学が生まれた。これは多くの点でかれらの哲学に従っていたが、しかしまた、あのイタリアの徒の哲学とはちがった独特な点をもっていた。(A6,986a30)

 当時の文献が満足に残っていない都合、プラトンの対話篇のみをさらってピュタゴラス派からの影響を直ちに否定することも、アリストテレスの報告を額面通りに受け取ることも、実のところ差し控えるべきではある。本項ではまずアリストテレスの『形而上学』による、ピュタゴラス派とプラトンに関する報告を一瞥していく。

1.1. アリストテレスのピュタゴラス派批判

 ピュタゴラス派については『形而上学』A巻第五章において主に扱われている。アリストテレスの四原理に向けた叙述のため、ピュタゴラスの全体像をそこで見渡せるわけではないけれども、アリストテレスが問題意識を抱いていたピュタゴラス派の学説について概観しておこう。

 アリストテレスによれば、ピュタゴラス派にとっての「存在の原理」は数、数学であった。「かれらは、この研究をさらに進めるとともに、数学のなかで育った人なので、この数学の原理をさらにあらゆる存在の原理であると考えた」(A5,986b23)「他のすべては、その自然の性をそれぞれ数に似ることによって、作られており、それぞれの数そのものは、これらすべての自然において第一のものである、と思われたので、その結果かれらは、数の構成要素をすべての存在の構成要素であると判断し、天界全体をも音階[調和]であり数であると考えた」(A5,986a)火や水といった感覚的事物ではないように思われる「数学の原理」を存在の原理におくことは一見不可解であるが、ピュタゴラス派は、アリストテレスによれば、数は感覚的な実体を構成するもの、つまり感覚的事物に内在するものとみなしていた。


 これは別種の不可解な帰結を導くことをアリストテレスは指摘する。まず、数という単位的なもの、つまり大きさをもたないものから、感覚的事物という大きさをもつものが構成されるのは不可能であるという端的な指摘である。「かれらは物体を数から構成されているとし、そしてこの数を数学的の数であるとしているが、これは不可能である。というのは、不可分な大きさと言うことは真でないからであり、またもし仮りにこのような大きさがあるとしても、単位はすべて大きさをもっていないからである」(M8,1083b8)また、もし単位が大きさをもつことを前提したいならば、大きさをもつ数、その始源たるところの「一」が大きさをもちつつ生じる仕方を述べなければならないが、ピュタゴラス派はそれを満足していない。「大きさをもつためには、どのようにして第一の一が合成されえたか、これにはかれらも当惑したもののようである」(M6,1080b16)

 アリストテレスは『形而上学』第一巻において、存在の原理に関する過去の思想家の学説を、四原因という観点から通時的に捉えなおしており、ピュタゴラス派とプラトンは通史の終端に位置づけられている。存在の原理という論点において、ピュタゴラス派が過去と比べて独特であるのは、質料因や始動因(これはエンペドクレスが端緒であるとされている)に加えて、本質因、つまりものの「何であるか」を思索したところにある。それがかれらにとっては数なのであった。アリストテレスはピュタゴラス派に特有の意義を以上のように認めてはいるが、しかしその議論の充実度については「きわめて簡単に片付けられている」(A5,986a21)と断りを入れる。数を感覚的事物に内在させ、本質因について考えた。そのようなピュタゴラス派の学説をまとめあげたところで、プラトンへと通史は移っていく。

1.2. アリストテレスのプラトン批判

 先にも引用したように、アリストテレスはプラトン哲学が「多くの点でかれら[ピュタゴラス派]の哲学に従っていた」(A6,986a30)ことを指摘する。その内実は、『形而上学』A巻第六章を概観すれば、大きく二点にまとめられるだろう。


 第一に、感覚的事物の定義つまり本質因について考えたことについて。ピュタゴラス派にとってそれは数であったが、プラトンはそれをイデアと認識した。あらゆる感覚的事物は、数ないしイデアによって存在しているのであるが、その関係についてアリストテレスは以下のように述べる。

 或るイデアと同じ名前をもつ多くの感覚的事物は、そのイデアに与かることによって、そのように存在するというのであるから。ところで、ここに「与かること」と言ったこの言葉だけはかわった点である。というのは、ピュタゴラスの徒は存在する事物がそのように存在するゆえんをば数に「まねること」によってであると言っているが、それをプラトンは、この言い方だけ変えて、「与かること」によってとしているのであるから(A6,987b10)


 当のアリストテレスはこの「まねること」「与かること」の詳細について「共同の研究課題としてわれわれに残した」(A6,987b16)としており、不明である旨を告げているが、とにかくプラトンとピュタゴラス派における感覚的事物と本質因の関係はおおむね同質であるという見解のようである(*2)

(*2)なおここでは語られていないが、感覚的事物とイデアは「離在」という関係にあり、それはピュタゴラス派における数が感覚的事物に「内在」するという関係と相違する。この相違は双方の思想にとって本質的であるのだが、本論では掘り下げないでおく。


 第二に、数学的対象を感覚的事物と異なる様相において捉えたことについて。ピュタゴラス派が数を本質因においたらしいことは既に確認した。一方プラトンは、アリストテレス的にいえば本質因をイデアと捉えた点でピュタゴラス派と相違するが、数学的対象については感覚的事物と異なる地位を与えていた。『形而上学』においては以下のような指摘がある。

 プラトンは、さらに感覚的事物とエイドスとのほかに、これら両者の中間に、数学の対象たる事物が存在すると主張し、そしてこの数学的諸対象をば、一方、それらが永遠であり不変不動である点では感覚的事物と異なり、他方、エイドスとは、数学的諸対象には多くの同類のものがあるのにエイドスにはいずれもそれぞれそれ自らは唯一単独であるという点で異なるとしている(987b18)

 プラトンの対話篇のなかでは、たとえば『国家』第六巻における「線分の比喩」がアリストテレスの証言と合致するといえる。そこでの善を最高とした存在の程度において、数学的対象は、イデアとも感覚的事物とも異なる枠で語られているからだ。ただし、以上の議論から、「数学的対象の特権視という点でプラトンはピュタゴラス派から影響を受けた」とただちに断ずることができない旨は再度確認しておく。

 以上の二点においてプラトン哲学はピュタゴラス派に「従っている」といえる。しかしそこには相違関係ももちろんある。それについては後述するとして、ここではアリストテレスによるプラトン批判を一瞥することにする。とはいってもアリストテレスは『形而上学』A巻第9章において、いわゆるイデア論に対する批判二十三箇条を述べており、まさに「過剰」なまでの苛烈な反論を繰り広げている。それを包括する形での一瞥はいささか困難であるから、ピュタゴラス派へのアリストテレス批判と対応する箇所を抜き出してみると、おおよそ以下のようになる。

 それはまず、端的にイデアの実在を示せないという点である。「われわれ[プラトン学徒]はエイドスが存在するということをいろいろの仕方で証明しているが、そのいずれも明白ではない」(A9,990b10)これは、すでに引いてあった以下の批判と対応する。「大きさをもつためには、どのようにして第一の一が合成されえたか、これにはかれらも当惑したもののようである」(M6,1080b16)感覚的事物が「まねること」、「与かること」を行うところの本質因は、その生成の途を示すことができないために、存在の原理としては論ずるに値しないというわけである。さらに、すでに幾度か触れた「まねる」「与かる」といった自然物―本質因の関係の不明瞭さから、数と同様イデアが自然物の運動の原理にはなり得ないことも批判にくみ入れる。「最も疑問とされてよいのは、そもそもエイドスが感覚的な事物に対して…どれほどの役に立っているかという点である。なぜなら、エイドスは、これらの事物に対してそのいかなる運動や転化の原因でもないからである。のみならずそれは、他の事物を認識するのになんの役にも立たない」(A9,990a10)このことは、イデアの超越性を拒否するアリストテレスにとって致命的であった。
このように、ピュタゴラス派やプラトンのいずれも、アリストテレスの四原因に照らしてみれば、存在原理の探求としては不十分であることが述べられている。

1.3. アリストテレス的「ピュタゴラス派とプラトン」と相対化の可能性


 前項でわれわれは、『形而上学』においてピュタゴラス派やプラトンの存在原理の探求が不十分なものとして語られていることを確認した。しかしながらこれは、アリストテレスの四原因説を絶対視するのでない限り、かれらの学説に欠陥があるということをただちに導くものでは決してない。

 アリストテレスは、過去の諸々の学説のいずれも自らの四原因説と部分的に整合しうることを示すとともに、それら学説の不備を指摘することで、四原因説が存在の原理としてふさわしいものであることを立証しようとした。すなわち、ラフに言えば、『形而上学』A巻の記述は、アリストテレスが正しいと捉えるならばピュタゴラス派とプラトンは間違っていると捉えるほかない、という事実を確認したに過ぎないのである。

 ここに、ピュタゴラス派とプラトンの関係を相対化する余地を認めることができるだろう。すなわち、「四原因説を終局に据えた存在原理の探求」以外の仕方でかれらの学説を語りなおすことで、他なる影響関係が浮かび上がるのではないかという希望的観測ができるだろうということである。ただし、幾度も但し書いているように、希望的観測をそれ以上のものに昇華させうる文献的証拠をわれわれは十分に有さないから、あくまで探求は希望、憶断の段階に留まる。そのことを了解したうえで、次項では他なる「ピュタゴラス派とプラトン」の様相を探ることにしたい。


2. 他なる「ピュタゴラス派とプラトン」の様相

 前項の議論で浮かび上がったピュタゴラス派とプラトンの学説の共通点とは、存在原理の探求という観点でみれば、(1)数学的対象の特権視、(2)本質因と感覚的事物の「まねる」「与かる」関係性の探求、のふたつにまとめることができる。以下はこれらと他なる共通関係を探ろうとするものである。

◎魂の浄化

 ピュタゴラスが宗教・政治的指導者としての一面を、そしてピュタゴラス派が「教団」としての一面を有していたことについては、W.ブルケルトをはじめ、すでに様々な研究が進んでいる。なかでも魂の輪廻転生という学説は宗教色が一見濃いけれども、哲学の見地に寄せてみれば、哲学を通して魂を浄化し、善い生き方を目指すという、ギリシア哲学における新しい展開の一幕として読むことが可能である。

 このことについては廣川洋一氏が『ソクラテス以前の哲学者』において指摘しているので、引用しておこう。

 ピュタゴラスおよびその徒がはじめて着目し開発した、新しい原理とものの見方…にのみこれまでの私たちは目を奪われてきたようである。しかし、このような存在論的認識論的知見だけでなく「人間の生き方」にかかわる問題もまたそれらに劣らず、むしろそれ以上にピュタゴラス(およびその徒)にとって重要な課題であったことを見逃してはならない。ピュタゴラスにおいて「魂」が新しい意義を与えられたことはすでに述べた…自ら判断し認識し意欲する自己としての、人間の主体としての魂であり…(pp84~85)

 自然物の存在原理から「人間の生き方」へと哲学探究の興味が移ったことは、古代ギリシア哲学の時期区分においても意義をもつ事実であるが、その意味ではピュタゴラス派の着目は哲学史における境目に位置づけられるだろう。


 そして以上の学説は、プラトンの対話篇、例えば『パイドン』や『国家』にみられる「魂の浄化」論と大部分において重なる。魂は肉体から死後解放されることによって浄化され、真実なるものの直視をはじめて可能にする。哲学は真実なるものを、肉体の感覚に拠らず、ただ思惟によって捉えんとする営みである。かかる『パイドン』における言説は、当然のごとく魂の不死性、もっと言えば魂の主体性を前提している。


 ピュタゴラスの没後生まれたとされるフィロラオス(B.C.470頃~385)は一般に「ソクラテス以前の哲学者」として分類されるが、その生没年はプラトンの師であるソクラテス(B.C.469頃~399)とかなりの部分一致していたようである。そして当のプラトンがフィロラオスの著物を購入し、自らアカデメイアの蔵書としたことはよく知られている。

 魂の主体性を見出し、「人間の生き方」を探るものとしての哲学を営んだものとして「ソクラテス以後の哲学」は語られるが、それと大部分共通し、ひょっとするとなんらか直接的な影響を与えたかもしれないフィロラオスらピュタゴラス派を、「ソクラテス以前」よりも特権的な位置におくことは、そう無理がないように思われる


 ギリシア哲学の境目に、「ピュタゴラス派とプラトン」はあったのであり、これはアリストテレスが語ることのなかった関係である。

3. 参考文献一覧

プラトン『パイドン』岩田靖夫訳、岩波文庫(2016)
プラトン『国家(上)(下)』藤沢令夫訳、岩波文庫(2016)
『アリストテレス全集12 形而上学』出隆訳、岩波書店(1968)
『ソクラテス以前哲学者断片集 第Ⅱ分冊~第Ⅲ分冊』内山勝利編、岩波書店(1997)
廣川洋一『ソクラテス以前の哲学者』、講談社学術文庫(2013)

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