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夏論 (Summer Theory)

われわれはどうすれば強くなれるのか? 強くなるにあたってどのような妨げがあるのか? 強くなろうとすることがなぜ感動的(泣きアニメ)なのか? "そろそろ問わねばならない。夏を迎えに行くのはわれわれなのだ" まず前提として、人間は少しでも強くなりたいと思っている。これに賛同できない場合、そもそもの道の公理系が違うのでここで袂をわかつことになる。 加えて、論を進めるにあたり2つの前提を共有したい。①強くなるとは、夏や春に漸近することである。②社会という輪郭の確定した共同体が常

    • レート日記 4日目 クイブレロイヤルについて【Shadowverse】

      今日は仕事がゆるかったので6戦やった。 ほぼ35-15ペースなので(意味ない)落ち着いてRDを下げていきたい。 ゆるい平日に5戦、休日に10戦積んでなんとかRD規定すれすれのところでの着地を狙う。 AFネメシスが、毎回先投げにも関わらず勝率をよくあげてくれている。 相方はいろいろなデッキを試しているのでまとまった戦績はない。 10/17時点の競技環境について相変わらず窓などに一切所属しておらず、ガラパゴス考察と化しているので世間の認識とずれている可能性あり。 https

      • アニメ『ポプテピピック』に関する芸術論的な基礎考察【感想】

        はじめに 本記事の目的は、TOKYO MX、BS 11にて2018年1月6日より週次で放映され、2022年は再放送や第二シリーズの放映によって再度注目を浴びているTVアニメ『ポプテピピック』を、コンセプチュアル・アートとみなすことが可能であるか(芸術的であるといってよいか)見定めることである。  そのためには、数あるアニメ作品のなかから『ポプテピピック』を選びとることの妥当な理由を示すとともに、単なるアニメ作品からコンセプチュアル・アートへとカテゴリーを変換することの必要・

        • レート日記(嘘)(結晶ビショップvsアグロエルフについて)【Shadowverse】

          仕事や引っ越し手続きの都合、RatingsでRDを下げる時間を捻りだせなくなってしまった。 時間を見つけてBO3の練習をしつつ、JCGやRAGEへ出場して成果を出すことを目標に変更。調整時間が限られている中で学びを効率良く得る目的で、 相性認識固めやプレイングを磨きたい今期の頻出マッチについて、信頼のおける友人プレイヤー達に壁打ちをお願いしていくことにした。 今回は2ndデッキの二大巨頭である結晶ビショップとアグロエルフの対面について。 10/15時点の競技環境につい

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        • レート日記 4日目 クイブレロイヤルについて【Shadowverse】

        • アニメ『ポプテピピック』に関する芸術論的な基礎考察【感想】

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          レート日記 2日目(結晶ビショップについて・レートはやってない)【Shadowverse】

          Ratingsをやる時間が今日はとれないので、環境考察と≪結晶ビショップ≫についての考察を行う。 10/11時点の競技環境についてhttps://xn--gck7ah6dsb1hyh.game-box.xyz/rating Tier1に≪AFネメシス≫、Tier2にエルフと≪結晶ビショップ≫をいだく構図は前週から変わっていない。 エルフ内では≪コントロールエルフ≫の立ち位置が悪く数を落とした。圧倒的な不利を取る≪結晶ビショップ≫のシェアが増えたことよるものである。エルフ=

          レート日記 2日目(結晶ビショップについて・レートはやってない)【Shadowverse】

          レート日記 1日目【Shadowverse】

          4戦やって合計2-2、 ≪AFネメシス≫:3-2 ≪結晶ビショップ≫:2-4と微妙。 ≪AFネメシス≫の1敗は、↓の振り返りにもある引き差を覆せなかった試合なので納得はできる。≪結晶ビショップ≫の練度がとにかく甘かった。 試合のうち、ある程度再現性のある良かった択/悪かった択をピックアップして振り返る。 ターン時間の使い方もみておくためにリアルタイム録画。 AFネメシス 良くも悪くも≪廻り出す運命≫の有無によりデッキの性質が大幅に異なってくる。≪廻り出す運命≫がある場合

          レート日記 1日目【Shadowverse】

          レート日記 0日目【Shadowverse】

          対戦の試行回数をこなせない生活環境なので、一戦一戦からの学びを増やしたい目的で日記。 できるだけ継続していきたいので内容の深さは重視しすぎない。 自分用なので公共性は考えない。 窓とかからの情報がなく完全に独自考察なので一般の認識とは異なる可能性あり。 10/9時点の競技環境について≪人形ネメシス≫から≪アブソリュート・チェイスト≫と≪神器鳴動≫が能力変更を受けて最大値・安定性ともにしっかりと削がれ、同ネメシスクラスでは≪AFネメシス≫の爆発力が優位性として確立、大方の予

          レート日記 0日目【Shadowverse】

          【哲学】ピュタゴラス派とプラトン ―アリストテレス史観を相対化する―

          ※哲学者としてのピュタゴラス入門としても使えるように書きました。プラトンのイデアとかアリストテレスの四原因説くらいの基礎を知っていれば読めます。  今回の目的: 直接文献に乏しいピュタゴラスおよび「ピュタゴラス派」と名指される一派の思想・学説について、後世の人々による報告に頼るしかない現状を鑑み、それらへの見方の相対化を試みること。  ただし、一口に「ピュタゴラス派」といってもそこには様々な思想家が各々特定できない形で含まれている(*1)し、後世の報告も多種多様で一種「神

          【哲学】ピュタゴラス派とプラトン ―アリストテレス史観を相対化する―

          他者の絶対化からはじまる宗教学と宗教【概論】

          本論でかんがえたいこと▼ ・宗教学とはなにか。 ・宗教と宗教学はなにがちがうのか。 ・宗教学が他者学一般とことなる点はなにか。転じて、宗教学の定義が難しいのはなぜか。 ・上をふまえて、やっぱり宗教とはなんなのか。 1、宗教学の領域画定について 宗教学とは何か。宗教とは何がちがうのか。  一般に学問の輪郭を定めるにあたりまずもって確認すべきことはその手法と対象である。しかし周知のとおり、宗教学のディシプリンは自然科学のように易々と定まらず、社会学系宗教理論・精神分析系理論

          他者の絶対化からはじまる宗教学と宗教【概論】

          タイムリープという究極の異化【文芸論】

           ロシア・フォルマリズムの中心・ヴィクトル=シクロフスキーによれば、日常にて見慣れたものを非日常的な形で提示し、慣習によって鈍らされた感覚の克服こそが芸術の目的に他ならないという。そうだとすれば、タイムリープという異化(Drfamiliarization)現象は小説の芸術的本質のある部分を構成しているといってよいだろう。以下、そのことについて論じる。  デイヴィド・ロッジはThe Art of Fiction(1992, Penguin)において、小説の芸術的本質を50個抽

          タイムリープという究極の異化【文芸論】

          【感想】帆高の「僕たちはもう大丈夫だ」はただの強がりだ/天気の子

          1,はじめに『天気の子』を典型的な<セカイ>系作品と評する人は少なくないし、それを無理筋というほうが無理筋だと僕も思います。 じゃあ具体的にどういう点が<セカイ>系なのかといわれてみると、しかしながら応答するのは結構難儀なんじゃないでしょうか。 今回は【『天気の子』はなぜ<セカイ>的なのか】という観点から、僕がこの作品を5回観てうけた感想を書き留めていく。そういう試みです。ほんとうにふと思ったことを書き連ねるだけなので、まとまりや深みでは勝負していません。 章立てるとす

          【感想】帆高の「僕たちはもう大丈夫だ」はただの強がりだ/天気の子

          【哲学】『エセー』の「レーモン・スボンの弁護」について:我々は少しも優れた理性を持っていない

          「それにしても人間とは、常軌を逸した存在というしかない。ダニ一匹作れないくせに神々を何ダースも作るのだから」 モンテーニュの「哲学的」主著であるところの『エセー』において、そのボリュームの多さから一際目を引くのが第二巻、第十二章の「レーモン・スボンの弁護」である。『エセー』全体をとおしてみれば、古今の思想からの引用に彩られており、なにがしかひとつの主義のもとに属させることは難しい。たとえば、『エセー』をピュロン的な懐疑主義の書物であると主張すれば、ただちにその書物のストア派

          【哲学】『エセー』の「レーモン・スボンの弁護」について:我々は少しも優れた理性を持っていない

          【哲学】想像力は”理性的”でないのか?プラトンの「洞窟の比喩」の構造的欠陥から読み解く

           想像力が足らないとよく言われます。そんな想像力ですがなんとなく論理的思考とはイコールではない"情感的"なものだというイメージが膾炙しているように思います。少なくとも近世以降の哲学史においては"理性""悟性""知性"などガッチガチの概念に対して劣位におかれてきました。 今回はそんなフワフワの「想像力」概念を救い出す試みです。 ====== 1. はじめに「想像力」とは何なのか。それは哲学において不要なのか。 現代に至るまで詩的・比喩的想像力を評価する哲学的風流はほとん

          【哲学】想像力は”理性的”でないのか?プラトンの「洞窟の比喩」の構造的欠陥から読み解く

          【哲学】芸術とは何か?何でなければ芸術でないのか?

          台風接近により土日の予定が吹っ飛んだのでだらだらと本を読んでいたら、なんというかこれまでの学びを振り返ってみたいなというおたく心に駆られてしまいました。学部卒レベルの文学知識なんてファミコンでも処理できるくらい軽いんですが、書き留めようと思います。 大学四年の春ごろ、卒論から逃げるようにして興味を惹かれたトピックが「芸術の定義」でした。芸術とはなにか、なにをもって芸術といえるのか、というごくごく陳腐な本質主義ですがそれにすがっていたわけです。 そんななか記していた論考もと

          【哲学】芸術とは何か?何でなければ芸術でないのか?

          【小説】抱きまくらを使い始めたら宇宙創成の真理に到達した話

          要するに、不眠になったから抱きまくらを使い始めたら宇宙創成の真理に到達したという話をします。 不眠に陥るようになるまで働くようになってから呟く機会が減った。考えることが減ったからなのかもしれない。週40時間、考えるべきなのに僕は虚無に時間を投資してしまっている。 …みたいな事をいっちょまえにポエム化せずとも、ぼんやりと胸に秘めてなお折り合いをつけている人々はごまんといるだろうから、上のことを僕だけの特別のように語るのは幼稚を晒すに他ならない。言語化しないでおけるというのは

          【小説】抱きまくらを使い始めたら宇宙創成の真理に到達した話