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東大メディアUmeeTの初代編集長だった、あの創設期を振り返る

「東大UmeeT」は、月20万PV規模の、東大生が運営するオンラインメディアです。
立ち上がったのは今から3年前の11月12日。実は僕が初代編集長をしていました。

UmeeT立ち上げ直前の、最初のランディングページはペライチにまだ残っています。

「プログラミングできるようになったから、自分の作りたいもの作りたい!」と言い始めた友達に誘われて、なんやかんや編集長になりました。

だから元々のコンセプトは「IT×メディアの力で東大の面白さを集約し、発信する」でした。

これがキーメッセージでした。
「さんまの東大方程式」を始めとした、様々な「東大生番組」が流行り始める前だったので、キャンパスに溢れている面白い東大生たちを誰も知らなかった。ガリ勉だと思われてた。

こんなに面白い人たちが知られないのはもったいない。うまく編集し、発信したい。というのが僕の原動力でした。

同居人の「株式会社みかん」の清原も、この時点で取材しています。
最近「マツコの知らない世界」で丁寧に紹介されてましたね。

そういう僕もなんどもテレビに出させてもらってますが、「すぎ山食堂」に来てくれた「おじゃMAP」など嬉しかった番組もあれば、腑に落ちない番組もありました。

テレビで数分で消費されるのも、もったいない。記事だからこそできる発信の仕方があるはず。東大生番組がもてはやされるようになってからは、そんな問題意識がありました。


編集長の仕事

編集長として僕がしていたことは、「見つけて、口説き落として、磨く」ことでした。

僕はエースライターではありませんでした。自分で書いた記事は最高で1.8万PV程度。

代わりに僕が編集長だった時期に、多くの傑作が生まれ、比べ物にならないPVを稼いでいます。

こいつ面白い!書いて欲しい!取材したい! を見つけて
なんとかして口説き落として仲間にして
編集でそこから磨いてもっと面白く仕上げる

そういう巻き込みが、僕にできることだったのです。
それは漫才サークル「笑論法」を立ち上げた時から変わらない。
今ファシリテーションやライブ運営をしていることにも、直結しています。


さて、そんな僕のUmeeTに、今回の大怪我の話を取材してもらった記事が公開されました。

後輩で、優秀な編集者のさとりほが書いてくれました。

noteでは僕が思った僕視点しか書けませんでしたが、彼女だからこその見え方をお楽しみください。
そしてぜひ、今も後輩が賑やかに受け継いでくれている、UmeeTをご贔屓に。


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