小田嶋 隆

亡くなって5日、おれは本当にこの人が好きだったんだなぁという打ちのめされ方をしている。自分のツイッターを遡ると2012年あたりからせっせとリツイートを重ねていた。

ノンポリのボンクラである自分がよちよちと自治体や行政機関に物を申したりするようになったのも、震災の翌年、第二次安倍政権発足のこの年にもっとも盛んだった覚えがある。

武田砂鉄氏の核心をついた追悼文を読んでようやく収まりがつきそうだ。

週刊朝日 ’22.7.8号

“「反権力のコラムニスト」なんて見出しが並んでいたのだが、それはちょっと違う。その見出しに赤を入れるなら、「反権力にならざるをえなかったコラムニスト」だろうか。”

小田嶋氏がそうなり始めた時期と、自分の社会の捉え方が変わった時期が、どこか噛み合っているような気がする。

でもとにかく、自分は氏の文章、言葉が好きだったと自覚している。まずはそれありき。書き方講座をされていた氏もそこには自覚的で、追悼文の武田氏も“世の中に流れている言葉の危うさをチェックしていたら、国を動かしているど真ん中の言葉が一番危うかった、という話にすぎない。言葉を大切にして、言葉で遊ぶ生業だからこそ、ものすごくだらしなく言葉と付き合っている人が許せなかったのだろう。”と続けている。

武田氏の解釈とスタンスが心地よい。やっぱり、震災からコロナ禍までという災害の間のツイート集『災間の唄』(武田砂鉄・選)は読むべきか。

しかし、くさるなぁ。

追記:
もうひとつ思い当たった。
ざっと話すと、おれはイラストレーターの吉田カツ(故人)が大好きだったんですね。
カツ大将がかつて言っていたことを要約すると、イラストレーターは芸術家としての絵描きに劣る存在ではない。イラストレーターは、依頼者が求めた要望に対して最も適した物を、最も適した形で提供する職業で、「その媒体が必要とする絵」という観点においては、どんな芸術家のどんな名画にも勝る。ということだ。
おれは小田嶋隆氏にとっての「コラムニスト」にも同じ矜持を感じているのだね。実際に本人も、こうツイートしている。

facebook 2022年6月29日投稿に追記・修正

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