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機嫌の舵取り

📍いつかの夏、香港の夜景。光の海を漂って。

「ご機嫌な」とは「気分が良い」の意味なのに何故「嫌い」の字が入っているのかと思えば、元は仏教用語で「譏嫌」、お布施で暮らす僧侶が贅沢をして一般の人々から譏り嫌われないように、というのが語源のようで。つまり本来の機嫌は人の嫌がることをしないように自分を律し、慎ましく生きようという意味なんだそう。自主自律、自分が主体となり自身を律する。

目星をつけつつも何処ぞの悪意にペースを乱され約1ヶ月、弱々しい女に成り下がっているのは相手の思う儘なのでは?と負けず嫌いが頭をもたげた最中、適切なフレーズを思い出せた事に感謝する。

自分の機嫌は自分で取る。

思う/思わない、赦す/赦さない、祝う/呪う。すべては自分の心が決めている事。

とは言え、そこに辿り着いたのはきっと「強い女たち」の言葉を摂取しまくったから。くだらない僻みなんて目に入れない、凛とした背筋の伸ばし方に、最近の自分を省みて恥じたのだ。そして硝子のハートな私に、気にしない方が良いよ、と言ってくれたひとたちの存在も大きい。味方で居てくれる存在は一人でも一人分ではなくて、何倍にも何十倍にも頼もしく思える。手放したくないし、離れないで居て欲しい。そう思ってもらえるようで在りたい。

不味いと解っているものを何度も食べてみるなんて人生の無駄遣い。それか、余程のマゾヒスト。
人生は有限なのだから、嫌いな人より好きな人に時間を使うなんて当然の前提であるべきだ。

なりたい自分を演じるのは自分の中の美学のひとつ。背伸びしてたら本当に背が伸びるような瞬間がすきで、その為に筋肉痛を我慢する。

「出る杭は打たれる、出過ぎる杭は打たれない」と言うけど、打たれて何かの留め具や目印にでもなれるなら、ただの棒で居るより百倍マシだ。杭にもなれず悔いを遺すくらいなら。

会いたければ会うし、会いたくなければ会わない。
したければするし、したくなければしない。
社会の中で生きている限り避けられない事はあるけれど、選べるものは選んでいたい。選んだのだと、胸を張って言えるようで在りたい。

自分の機嫌の舵を取って、人生を航海していくのだ。

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