考えたって仕方ない夜を乗りこなすのはもう飽きた

あくまで「今の私にとって」だけど、頑張ろうとするのは簡単だし、そう言うのも簡単。ただ、日々生まれるギャップに心を乱される日が続いていた。人には人のペースがあるし、私が正しい訳でもない。だけど何故やってくれないのか理解できないことばかりで、かと思うと当たり前のことをしただけで目立つ褒められ方をして逆にバツの悪い思いをしたり、どことなく「ここじゃない」と葛藤が積み重なって今に至る。

旅立つ時なんだろうなと思う。

期待をしなければ良いのは解っていて、「貴方がそれで良いならそうしていれば、」と手放せば少し楽になった。持っているものを惜しみなく与えれば皆が成長して幸せになるのかと思っていた。けれど熱くならない鉄は打てないし、目指す在り方が違うのなら、同じゴールに向かって走れないのなら、私がそうしてもらったのと同じようにしたって意味が無いのだと虚無感に襲われる。

別に後輩教育に限った話では無い。

遠くに出かけないことで生活の在り方が変わった。自由に飛び回れないことが思った以上にストレスとなっているのに気づいたのは、行くか行かないかの決断を迫られた時だ。皆が皆行けなくなるのは苦しいけれどやむを得なかった。行ける人と行けない人に別れる時、大人になって判断をしなければいけないと頭では解っている。それでも一度チャンスを見送ったことで永遠に巡ってこないことがあるのも知っている。

ボーナスと給付金をそのまま貯金してやれば突然心に余裕が生まれる。冬もきっと旅行はできない。行った所で現地でも刺されそう。そんな蓄える1年にしてみようかと思う一方、いつ死ぬかも解らないのにやりたいことを我慢する意味があるのかとも思う。

そんな堂々巡りを繰り返し、着実に夜が明けていくことに絶望する。どうしようもない言い訳が欲しい。

考えたって仕方ない夜を乗りこなすのはもう飽きた。さりとて夢に向かって走って行こうというテンションでもなく、流行り病の心配が無いくらい低めの体温で、機と心が熟すのを待っている。誰も決めてくれないと悟りながら。答えなんて欲しくないと感傷的になりながら。



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