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立川1967

代田橋にあるflotsam bookさん。
様々な写真集を取り扱うお店。
ファッションやデザイン関連が多いお店のInstagramのストーリーでご年配の3人組のお客様が来られたとアップされていた。

あまりにもおかしいミスマッチさか、いや写真好きの素敵なマダム達がこのマニアックなお店にしか在庫がなかった代物を探しにきたのか。

色々考えてみたが、どれも違った。
次のストーリーには持ち込みでの写真集の取り扱いの営業だったらしい事が記されていた。

その名も立川。
1967年、当時短大生だったこの3人が写真部で撮影したフィルム数千本か見つかったらしい。

スマホ越しでも分かるその写真の素晴らしさ。
速攻予約した。

社会的には安保における学生運動、砂川闘争などベトナム戦争を転換点とした世界の権力構造に対する抵抗が噴き出した時代だった。

立川、福生、王子野戦病院などには負傷した米兵をフェンス越しから眺めていた時代。

街もアメリカナイズされていた。
57年後の今に見るには当時の貴重なその街の風景が記録されていた。

女学生3人は同窓会を機にこのフィルムを起こす。
当時を振り返り、若かり自分達のエネルギーか今蘇ってくる。

その証を三冊頂いた。

最後のページに立川基地の1955年の拡張案に反対した砂川闘争が14年間の反対運動、裁判闘争の闘いで基地計画中止を勝ち取り、1977年の全面返還を勝ち取った事が綴られている。

今もまだ日本中に基地は存在する。
最大の嘉手納が目立つが、東京も福生に歪に残るアメリカンゴルフクラブなど基地だけでなく、戦後の傷が残されている。

負けたのだから仕方がない、のだろうか。
猶予ない状況でもある。
平和維持に依存の問題は大きくある。

毎日毎刻と考えて忘れず、その都度の考えをしっかりと残して相手にも周りにも伝えて行かなければいけない、

言葉を直接届ける機会をいつか何処かで作れたら!