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春夏秋冬是好日#5

 ~教員生活Part.3~

春休みや夏休みなど長期休業のときは教員も休みだと思われているかもしれないが、それは違う。
 春休みは異動があれば引き継ぎはもちろん、次年度の様々な行事などの職員会議。担任や副担任として所属する学年の会議。
長期間休んでいる生徒宅への訪問など、とにかく忙しい。
 夏休みや冬休みも、研修や出張。そして部活。
夏休みは特に、この部活が中心になる。毎日の練習に練習試合。コンクールに様々な大会。
 3年生になると、補習なども行う。
 もちろん休むときは年休(有給)をとる。
 
 これがへき地の場合は、また違うことがある。
 例えば、ある農家さん(生徒の家)の牛が見当たらない!となると連絡が来て、教員も例外なく探さなけれはならない。信号も道路標識もない真っ暗な“農道”を探すのだが…。
 車のライトを消して空に懐中電灯を向けると、そこは即席の天体観測の場所になる。本当に美しい。
 デートだったら最高のシチュエーションなんだが、今は大事な牛を探さなければ!(←これが現実😂)
 鹿も多いので、夜は特に気を付けて車を走らせる。
 ちらちらと道路の両脇に、鹿の目が光っている。
キツネかもしれない。
ちなみにキツネに「ルールルルルル」と手招きしても来るはずはない。(←これはドラマの中の話)
 鹿やキツネ、タヌキなど、動物たちは両脇から飛び出してくるから注意だ。
特に鹿にぶつかったら、かなり厄介だ。
 車は潰れるし、ときにはボンネットにぶつかることもある。鹿vs車では、圧倒的に鹿がWinnierとなる。
明るくなって確かめると、くっきりあとが…
ついでに鹿の毛もついている。かなり凹むのである。
 
 他にもお祭りがあれば、有無もなく参加が当たり前。
 普通の休日もなかなか大変だ。
 教員住宅は、学校の敷地内にある。だから生徒もよく来る。まぁ普通に来ればいいのだけど、その訪問の仕方が独特だ。
 寝ていると“ガンガン”と窓をたたく音がする。
おそるおそるカーテンを開けると、笑顔の生徒たちが来ていて「飯くれ、飯!」と騒いでいた。
 ビックリ仰天だが、可愛いイタズラだ。
 ある時は、保護者に会ったときに「昨日、先生いなかったね。帰って来るのも遅かったし…どこに行ってたの?」とか「先生んちにたくさん車あったけど友達?」とかね。
プライベートがあってないようなものだった。

 冬になると、グランドにスケートリンク作りが始まる。
 まず木枠をつくり、土をならす。石は出来るだけ取り除く。そして毎日、天気と気温を確認しながら木枠の中に水を撒いていく。
信じられない寒さの中、でっかいホースで水をまく。
一度では薄い膜のような氷にしかすぎないから、順番制で夜中に水まき担当になる。
寒くて、手もかじかむけど、リンク脇にある小さな小屋で熱々の豚汁をいただけることもある。
 生徒たちはなかなかヤンチャだったりした。
 授業に集中出来ないときには注意をするのだが、
一年目の若い姉ちゃんの話なんて聞くわけもなく…。
帰りに車(夏休み中に免許を取ったばかりで、車は新車だった)を見ると、ドアに蹴られたあとがあったりした。やったであろう生徒の保護者に、担任の先生から電話をしてもらった。
すると「カラスの仕業じゃねーか💢オレの子がやった証拠はあるんか!」と怒鳴られた。
確かに証拠はなかった。
“そうかも”とか“だと思う”ではダメなんだ。
悔しくて泣いてしまった。

 あだ名で呼ばれて、人気者だとうれしくて気付いてなかったんだ。
あだ名で呼ばれることは人気があるわけでも、慕われているわけでもない。
ただナメられているだけ。
悔しくて泣くのはあまったれてたからだ。
そう教えられた。
 その子とは何回もぶつかった。
 ある授業のときに、やっぱり騒いでいたから注意をしたら教室を出て行こうとして、止める私と取っ組み合いになった。
中学生の男の子の力はそれなりに強くて、取っ組んでいたときに、私が脱臼をしてしまった。
“😱💧”痛くて痛くてたまらなかったが、泣いてる場合じゃない!出て行った生徒を探さなければ…!
とりあえず、脱臼した右手を左手で押さえながら他の先生を呼びに行き、生徒が出て行ったことと脱臼してることを告げて、対処してもらった。
私はすぐに、この街一件しかない診療所に連れて行ってもらった。
服が破れるほど、腕を引っ張られたが入らない。
次に30分ほど走ったやや大きな病院にいったが、やっぱり入らない。
脱臼してる腕を何度も引っ張られたので、もう意識はフラフラ…冷や汗ダラダラ流しながら、1時間かけて中心部の整形外科へ。
「手続きをして下さい」とか言われて、車椅子でフラフラになっていると先生がすぐに来てくれて
「こんなにフラフラじゃないか!すぐに対処だろ💢」と看護師さんを叱っているうちに、先生は私の腕を持って「ちょっと痛いよ」って言うか言わないうちに、あっさりと腕を入れてくれた。
 治療をして学校に戻ると、その子と保護者が来ていた。
私に向かって「先生、申し訳ない」と子どもの頭をぐっと持って、謝罪してくれた。子どもが悪いとしても、相対したときに教師側が怪我をしてしまうと、教師以上に子どもは傷付くのだ。
だから私も、自分の不注意もあったのですみませんでしたと謝罪した。
包帯に巻かれている腕を見て、その子は泣いていた。
どんな状況でも自分が怪我をすると、当事者の生徒も傷つくのだと思った。
 その子たちの卒業式が一週間後だった。私は包帯を巻いたまま、少し動く指先でピアノを弾いた。
 私が新任のときの子どもたち。教師としての姿勢や覚悟を教えてくれた子どもたちだった。
 こうして山あり谷ありの4年間は、あっという間に過ぎて行った。


 
 

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