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奇妙な体験(1) ――「引き裂かれた心」に連れられて――

 2018年2月15日のことです。
 私は前の年の9月から、中国の湖北省武漢にある大学で日本語教師として勤務していました。
 内陸の都市武漢も、この頃は新型コロナが大流行する前で、その名を知る人は多くはなかったようです。
 コロナ流行後の武漢はその発祥の地としての不名誉な名を世界に知られましたが、人口1000万を数え、高層ビルが林立し、夜には煌びやかなネオンが彩る巨大都市であることに驚いた方もおられたことでしょう。
 町の中心を長江が流れ、唐詩で有名な黄鶴楼が聳え立つのも、この武漢の町です。

 大学はすでに冬休みに入り、キャンパスにはほとんど人影もなく、閑散としていました。
 この年は翌2月16日が春節となるので、2月15日は日本で言えば「大晦日」に当たります。
 外に一歩出ればそれなりに賑やかではあるのですが、多くは帰省したり旅行に出かけたりで、大通りも普段に比べると人や車の流れはまばらです。
 私は一月初めに帰国した後、所用があって早々に武漢に戻ったのですが、話し相手もおらず、孤独で無聊な寄宿舎生活を送っていました。
 大学構内に外国人教師の宿舎があったのですが、私を除く欧州や南米、印度の教師たちはほぼ帰国しており、7階建ての古びた宿舎に残っていたのは私一人であったようです。
 もっとも英語の苦手な私は、彼らが残っていたところで、ほとんど交流することもなかったでしょうが。
 中国の春節と言えば、本来は花火が上がったり爆竹が鳴らされたりして賑やかなのですが、都市部では大気汚染防止の一環としてそれらも禁止となり、物音ひとつしないような正月を私は武漢で迎えようとしていました。 

 その日の昼、つまり大晦日の昼ですが、私は昼ご飯を食べようと4階の自室を出て、階段を下りて行きました。
 わずかではありますが、校内の食堂も営業していたのです。
 すると、偶然、私の部屋の真下に住むアイルランド人の英語教師が上がって来るのに出会いました。
 彼の名を、仮にA先生としましょう。
 年齢は34歳、背の高い独身の美男子で、私とは中国語で会話していました。
 A先生はたいへん敬虔なキリスト教徒でもあり、どこか中世の修道士を思わせるところがありました。
 私もA先生に誘われて、武漢にある教会にも何度か行ったことがあります。
 入信を勧められることありませんでしたが、私も教会の儀式には参加しました。
 何を言っているのかわからない神父の説教に耳を傾け、讃美歌が始まると私も立って歌うふりをし、最後には心から神に祈るポーズをとって、儀式が終わるとA先生と帰路についたのですが、この経験は私にとって必ずしも嫌なものではありませんでした。

 実は、A先生は私にとっての「恩人」なのです。
 彼がいなければ、私は今でも中国に友人と呼べる人がいなかったかもしれません。
 彼は自分の父ほどの年齢の私に声をかけ、一緒に食事を作ったり、彼が開く中国人の友人とのパーティーに私を誘ってくれたりしたのです。
 彼の友人である中国の若者たちが、今でも私の友人です。
 
 階段でA先生とばったり出会った時、私はちょっと驚きました。
 彼はこの冬休み、中国の片田舎にボランティアに行ったと聞いていたからです。
 本人に尋ねると、何でも広東省の海辺の村で、障碍者の支援をしていたとのことです。
 もちろんキリスト教の活動の一環として、ボランティア活動に携わっていたのです。
 彼はその地から戻って来たばかりで、私との再会を心から喜んでくれました。
 本当にいい男なのです。
 二言三言、言葉を交わした後、A先生は突然「今日の午後、友人宅へ行くが、一緒に来ないか」と言いました。
 あいにく私は、その日の午後、買い物に出る予定でした。
 春節中の都会は多くの店も閉まり、食料などを買いだめておかなければいけないと聞いていたからです。
 それで、その旨を彼に伝えたところ、彼はどうしても一緒に来てほしいと言います。
 彼がそこまで言って私を誘うわけですから、彼に恩義を感じるだけでなく、彼を人間としても尊敬している私としては断ることができません。
 午後2時に、一緒に宿舎を出ることにしました。
 
 時間通り宿舎を出て、バスに乗りました。
 もちろん私は行き先を知らないので、背の高い彼の後をついて行くだけです。
 バスを降りて地下鉄に乗りました。
 地下鉄の中で、彼は新しい仕事について話しました。
 何でも、友人と新しい仕事を始めるそうです。
 中国にシェア自転車というのがあります。
 スマホを使えば、どこでも自転車が利用できるユニークなシステムで、中国では当時すでにかなり普及していました。
 彼の中国人の友人が、その自転車の修理を引き受ける仕事を始めるから、自分も手伝うのだと言っていました。
 何ごとも前向きにとらえる人だなと感じながら彼の話を聞いていましたが、私はまだ今日の行き先を聞いていなかったので、話の途中で、「ところで、どの駅で降りるの?」と聞きました。
 ところが、彼は答えません。
 地下鉄の中で少々やかましかったから私の言葉が聞き取れなかったのかもしれませんので、私も別段気にすることなく、別の会話を続けました。 

 長港路という名の駅に着いた時、突然彼が「降りる」と言うので、二人で降りて、地上に出ました。
 彼は、「ちょっと遠いけど、歩いて行くが大丈夫か」と聞きます。
 私は歩くのが好きですから、「もちろん大丈夫だ」と答えました。
 いろんな話をしながら、閑散としたオフィス街をひたすら歩きました。
 立派な企業の入ったビルが続いていますが、人影はほとんどありません。
 彼の友人はすごいところに住んでいるのだな、と感じました。

 暫くして彼は交差点を右折しました。
 そして次の信号をまた右折しました。
 方角的には元に戻っていることになりますが、そういう行き方しかないのかもしれません。
 今度は左折しました。
 そしてまた左折しました。
 ちょっと変だとは思いましたが、私も初めての地ではありますし、彼との会話も弾んでいましたから、さほど気にすることもなく、ひたすら彼と並んで歩いて行きました。

 大きな通りに出ました。
 道の向こう側には、何か巨大なテーマパークのようなものがあります。
 次の機会には是非そこを訪れたいと思うようなところでした。
 しかし、それにしても住宅地らしいところに行きつきません。
 私は彼に、「友人の家に行ったことはあるの?」と尋ねました。
 彼は「1度行ったことがある」と答えました。
 もうかれこれ30分以上は歩いていたと思います。
 これだけ遠いと迷うのも当然だ、と私は思いました。

 ところが、彼は突然、たまたまそこに停車していたバスに乗り込もうとしたのです。
 運行中のバスではなく、ただ道端に待機していただけのバスです。
 当然バスの運転手に拒否され、乗れませんでしたが。
 また変だなとは思ったのですが、私も彼について行くしかないし、ともかく彼はずんずん進んでいくので、何か考えがあるのだろうと、ぼんやりとですが考えていました。
 私はこの時まだ彼のことを信じていたのですが、少し変だと思う気持ちもあったので、「友人の住所は知っているの?」と聞いてみました。
 彼は「私の頭の中にある」と答えました。
 私が「友人宅に電話したら?」と言うと、なぜか黙ってしまいました。
 何か言ったのかもしれませんが、聞き取れませんでした。
 
 あるアパート街に着きました。
 そこはとても巨大なアパート群で、10階以上の建物が林立しています。
 彼はその中をやはりずんずん歩いて行きました。
 私もその後をひたすらついて行きました。
 もう一時間以上、歩いていたと思います。
 あっちへ行ったりこっちへ行ったり、裏へ回ったりまた表へ出たり、ともかく迷路のようなところですが、同じ道を何度もたどりつつ、ようやく一棟の古びた建物の中に入りました。
 中に入ると、彼はすぐにエレベーターに乗り込み、躊躇なく7階のボタンを押しました。
 ようやく彼の友人宅に到着したのだ、と私は思いました。
                         〈続く〉

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