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黒電話と海

※この短編小説はホラーです ご注意ください

 黒電話が居間に鳴り響く。
 チリリン、チリリンと静寂だった部屋にこだましている。
 チリリン、チリリンと夕日で照らされた橙色の部屋に音を伝える。
 その音はまるで外で鳴く蝉のように、鬱陶しく壁に反響していた。
 僕が出ようと床から立つと

「俺が取る」

 と父さんが僕を止めて受話器を持つ。
 それが日常だった。

 今まで、僕はその黒電話に出たことがない。
 黒電話が鳴るのは決まって土曜日の夕方の、太陽が沈みかけ空が赤く暗く染まっていく頃。
 その時以外に鳴ったことはない。
 僕は今までその電話に出たことがないためか好奇心を感じていた。
 恐らく毎回電話をしてくる人は同一人物だろう。
 どんな声をしているのか、どんな話題なのか、どんな話し方なのか。
 そんなことに強い好奇心を覚えるのだ。
 だが、それの半分くらい、気持ち悪さも感じていた。
 毎週黒電話を取ろうとするも、やはり毎回父さんに先にとられてしまう。

 この時代黒電話が珍しい、というのも好奇心の要素のひとつになっているのかもしれない。
 今は令和の時代だ、そもそも僕はスマホを持っているし、家族全員持っている。
 黒電話などいらないんじゃないか。僕が10歳くらいのときに、ふと疑問に思ってそう尋ねてみたのだ。
 すると、

「この黒電話は絶対に捨てちゃいかん」

 そう父さんが僕の両肩を強く掴んで諭すように言ってきた。
 そのときの目が普段よりも暗く、永遠に続くような海のように深く感じたのをよく覚えている。
 そして、その姿に言いようもない恐怖を感じたのも。

 今日は7月22日日曜日。僕は学校から帰っていつものようにリビングでテレビを見ている。
 液晶に映っているのは名前を知らないお笑い芸人。
 スタジオで司会の人にボケながらクイズ番組を円満に進ませている。
 僕もその番組に釘付けになり、眼の前の芸人と一緒に頭をひねらせて考えていた。
 今出されている問題は海のことについて。
 プレートがどうたらだったり水深なんなんメートルだったり、中学生の少ない知識で必死に考えていた。

「これは難しいな」

 いつ帰ってきたかわからない父さんも一緒に考えていた。
 テレビに写っている芸人と同じタイミングで同じポーズで頭を抱えたときは、笑いすぎてお腹がよじれるかと思った。
 太陽はだんだんと沈んでいって、夕日がリビングを照らしていた。

 その時だった。
 廊下から黒電話が、チリリン、チリリンと鳴った。
 父さんは気づいていないらしくクイズ番組を真剣に見ている。
 これは絶好のチャンスだ!僕はそう思いリビングを出た。
 廊下に立っても、父さんは僕を止める気配はしない。
 僕はそのまま受話器をとろうとする。
 ……あれ?待って?
 その時に気づいた。思い出した。
 今日が日曜日だと。
 僕は違和感と、それに対する恐怖を覚える。
 なにかおかしい。
 なにか気味が悪い。
 なにか、なにか嫌な感じがする。
 今までの不動と思っていたルールが崩れたのだ。
 崩れてしまったのだ。
 でも、だが、僕にこの受話器をとらないという選択肢はない。
 これはまたとない好奇心を満たすチャンスなのだから。
 人間は、好奇心には勝てないのだ。
 そう思い、好奇心か恐怖心かで震える手を抑えながら、受話器を握った。
 そして、耳に当てた。


「縺翫>縲∬◇縺薙∴繧九°?」


 な、なに?
 なに…この声?
 冷や汗が吹き出る。
 鳥肌が立つ。
 全身から血が抜けていく。
 この電話から、人語とは思えない何かが発せられた。
 僕はもう、好奇心など忘れていた。

「縺翫>?√>縺?°?√h縺剰◇縺托シ」

 また受話器の向こうから音が発せられる。
 周囲の音が小さくなっていく。
 聞こえなくなっていく。
 助けを求め父さんを呼ぶ。

 声が、出なかった。

「縺翫>?√>縺?°?√h縺剰◇縺托シ」

 恐怖心が全身を蝕む。
 耳から聞こえてくる声のようなものはどんどん勢いを増していく。
 どんどん狂気を増していく。

「縺昴%縺九i騾?£繧搾シ?シ」

 呼吸が浅くなる。
 眼の前が暗くなる。
 足が震える。
 恐怖が頭を痛めつける。
 受話器の向こうから、狂気が、ただ聞こえてくる。

「縺昴%縺九i騾?£繧搾シ?シ」
「縺昴%縺九i騾?£繧搾シ?シ」
「縺昴%縺九i騾?£繧搾シ?シ」
「縺昴%縺九i騾?£繧搾シ?シ」
「縺昴%縺九i騾?£繧搾シ?シ」

「ユウジ?」

 父さんが僕を呼ぶ、その瞬間電話は切れた。
 救われた、そう直感する

「とっと、とうっ父さん…!」

 僕は激しく安堵する。
 右手から受話器はすり抜けて、足は力を失い情けなく膝をつく。
 僕は泣き崩れながら、父さんを抱きしめた。
 父さんはそんな僕を暖かく見守りながら、頭をなでてくれた。

「大丈夫、大丈夫だからな」

 そう言って僕を慰めてくれる。
 呼吸が落ち着く。

(縺昴%縺九i騾?£繧搾シ?シ)

 頭にあの声がこびりついている。
 なんども反響している。
 あの狂気が頭から離れてくれない。

「大丈夫。何も考えなくて良い。耳をかすな」

 父さんの声に包まれる。

(縺昴%縺九i騾?£繧搾シ?シ)

 だが、頭の声は止まることを知らない。

(縺昴%縺九i騾?£繧搾シ?シ)
(縺昴%縺九i騾?£繧搾シ?シ)
(そ昴%縺ら騾?£繧搾シ?シ)

 その声はどんどん勢いを増す。
 どんどん鮮明になっていく。
 ……なんだ?
 声がどんどん真剣味を帯びている?

(そこ縺九i騾?£繧搾シ?シ)

 聞こえてくる度、ノイズがなくなっていく。

(そこ縺ら騾?£ろ搾シ?シ)

 その声が、何かを必死に訴えていることがわかる。

(そこ縺ら騾?£ろ搾シ!)

 その声に、聞き覚えがある。

(そこ縺ら騾?£ろ!!)

 その声は、その声の主は、



(そこから逃げろ!!)

 父さんだった。




「ユウジ」

 僕を抱きしめている父さんの顔を見る。
 その顔は満面の笑みだ。
 父さんらしくない顔だ。

「今から、海にいかないか?」

 その瞳は暗く、深く、永遠に続く海のように感じた。

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