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自分の芝も案外青い

隣の芝生が青く見える

自分は、かなり人の持つものに嫉妬してしまう節がある。身長とか何が得意とか、独特な価値観だったり。とにかく自分が持っていない物を持つ人を安易に羨ましがる。極め付けは、人ではないダンゴムシを羨ましがっていた。石の裏のジメジメした暗がりで他の仲間とじっとして生きているダンゴムシの生活を羨ましいと感じてしまっていた。(もう俺はダメなのか!)
 そんな感じで、まさに自分は隣の芝生が青く見えるを通り越して金ピカに見えるのだ(金の芝生はなんか嫌だな)

一方その頃、自分の芝生は….

今度は、自分の芝生を見てみることにする。自分にとって人に一番嫉妬していた時代が中学生の時だった。その時は自分の芝生は、体感茶色といったところで何もイキイキとした芝が生えていない様に見えていた。それから高校、大学を経ていくうちに、もしかしたら比べるものではないのかもと自分の中で考え始めた。

自分の芝生が青く見えてきた

大人になるにつれて、自分の芝生も案外青く見えてきた。どうしてそうなったのかといえば、自分的には散歩とかスマホを見ずに読書をしたりとか内省の時間を取るようになってから考えが変わったように思う。

 具体的に散歩では、自分の好きな道を好きなように歩きながら自分は今何を持っているのかを考えていた。他人に嫉妬している時はその逆で、自分が何を持っていないのかだけを考えてストレスを感じていた。そして考える中で家族、友人、趣味、健康、食事など自分が持っているものを再確認したら

かなり自分は幸せなんじゃないか、、、、と驚愕の事実に出会った

振り返ってみると、つくづく人にも恵まれて環境にも衣食住にも恵まれている、こうして今は楽しく記事を書いている。

自分は一体何が、不満だったんだろうと心が凪のようになる

あとスマホ断食も良かった。結局人間は便利なものに抗うことができない。(自分もその一人)あとスマホは主に使用用途がSNSになっているので、人の綺麗な部分が見えたりして自分には大量に摂取してしまうと毒になる。それを見ても一緒に喜べるようなでっかい器を持ちたいけれど、現時点ではできそうもない。だけどある一定時間スマホから目を離すと、かなり暇になる -> 暇になると自分のことを考え出す ->誰にも影響されずに思考できる 
->バカなことを考える ->面白くてハッピー という流れで、他者への嫉妬の感情を断ち切って自分のことを考えることができる。

最後に

別に嫉妬が悪いのではなく、結局それを適切に制御できない自分がいるだけなのだ ただの正論で、実際その状況を前にするとびっくりするくらい判断が鈍る。だから嫉妬も自分の一部として仲良くしていこうかな。


余談
記事を書くことが楽しい、もともと日記を書いていてそれをもう少し文章を長くしている感じで苦にならない、でもエンジニアの勉強もしないとなぁ



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