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私の恋愛珍エピソード~山梨の妖精~

私は「おもしろエピソード」が好きだ。友人たちに自身の「おもしろエピソード」を話して、笑ってもらえる時間がとても好きなのである。

もちろん「おもしろエピソード」といっても、世のお笑い芸人たちのような力量は持ち合わせてはいない。すべらない話の予選があれば一次敗退、いや予選にすらたどり着けない程度である。

そのことをご容赦頂いた上で、私の「おもしろエピソード~山梨の妖精~」を皆様に読んで頂きたいと思う。

私の人生の中でも類をみない男性との珍体験だ。

その男性と出会ったのは恵比寿の立呑バーだった。渋谷や新橋にもあると話せば、なんとなくピンとくる方もいるのではないだろうか。そう、出会いを求めた男女が毎週末集まる場所だ。

お酒を受け取り場所を陣取って辺りを見回すと、私と友人同様二人連れの男性が目に入った。勇猛果敢な友人が「灰皿貸してくれませんか」と彼らに声をかけてくれた。持つべきものは男の好みが被らない友である。

そこから意気投合し、連絡先を交換。私は40代長身男性の連絡先を手に入れたのである。11月末の出来事であった。このとき私は25歳。相手は少し年上であったが、高校時代より自他共に認めるおじ専の私にはなんら問題はなかった。(高校時代は好きな俳優さんたちがイケおじだっただけ)

なおかつ彼は見た目も言動も若かったため、頻繁に会うまでにそう時間はかからなかった。

12月の間、週二程度のスパンで会った。私の塵のような名誉のために補足すれば、ホテルに誘われ行ったとしてもコトを致すことはなかった。

「付き合うまでは身体の関係は持たない」これが当時の私の決まりであった。押しに流されホテルまでは連れてこられておきながら、なんて女だったんだろうと今は思う。

彼も私が拒否をすれば無理強いするようなこともなかったので、ただご飯を共にする時間が続いた。

恋愛経験がさほど無かった私は、「これはいつ告白されるのだろう」「むしろもう付き合ってるつもりなのか?」と5回目のデートまでもんもんとしていた。

そして来るべき6回目(一ヶ月以内)のデートで、次回は彼のお墓参りに付き合うことになったのだ。

これはなんの比喩でもなく、文字通りの墓参りである。

このときの私たちの関係を確認すると、交際関係にはない。身体の関係もない。

もちろん彼は僧侶などお墓に関わる職ではない。(大手家電メーカーの技術職であった)(真偽は知らん)

しかし私は次のデートの日、彼のお墓参りに同行するべくめかし込んでいた。おニューの靴もおろした。山梨県の某駅に向かうため、彼と待ち合わせていた八王子駅へ向かった。

まず、誰のお墓参りに行くのか。彼の亡きお母様のお墓である。

6回目のデートで、彼のお母様がすでに亡くなっていること、そして生前なかなか逆らえず、不仲な時代を過ごしたこと、そしていまだにしっかりとお墓参りができていないことを聞いた。

「今でも1人じゃ行けそうにもないから、墓に一緒に行ってくれないかな」

デート6回目(一ヶ月以内)の付き合ってすらいない25歳女への頼み事である。

こんなとき、世の通常の感覚を持ち合わせた女性たちであれば、どのようにリアクションを取っただろう。

「急じゃない?」「は?もう一回言って?」「え?どういうこと?」

どのように答えるかは定かではないが、困惑することは目に見えている。いやむしろ引く可能性が高い。

私はといえば

「え、、いいけど、私でいいの?(なにそれ?!なにそのおもしろ体験?!また一つネタが増える!!)

不謹慎であるとお叱りを受けることもあると思う。むしろ大半がそうだろう。

しかし先述した通り、私は「おもしろエピソード」が好きだ。今までの恋愛失敗体験もすべて「おもしろエピソード」にしてきた私にとって、これほど突拍子もない、友人たちが誰も経験したことはないであろうネタを提供されれば、断るという選択肢は存在しないのであった。

山梨県某駅。無人駅であり、もちろん訪れたことなどない。冷たい北風が吹き荒れる快晴の日だった。とにかく寒かったことを覚えている。

無人駅から十分程度歩くと、坂を登り始めた。山と呼んでしまうには草木が少なく、丘と呼ぶには見晴らしの悪い場所を、黙々と歩いていった。

ここまで聞いた友人たちの大半は

「殺されなくて良かったね、、」と私が事件に巻き込まれなかったことに安堵してくれる。

びっくりである。そんな発想は微塵もなかった。

小学生の時分よりミステリー好きで、証拠の残りにくい毒物や、死体の露見しない方法を、友人たちの誰よりも詳しい私が、現実世界での事件の可能性を露程も考えなかったのだ。

そのときの私は、「知り合って間もないひとのお墓参りに同行する」という未知の体験にただただわくわくしていた。

無事に人里離れた閑静な墓地に着いた。 

彼はお母様のお墓を見つけ、墓前に立ち大きく息を吐いた。少しの間お墓を見つめてから、おもむろに仏花を供え、しゃがみこみ手を合わせた。

私はといえば、後ろでただ突っ立っている他になかった。

付いて来たのであれば手を合わせるべきだという意見もあるだろう。しかし、私にはできなかった。なぜか。

考えてみてほしい。そのお墓で眠る彼のお母様から言わせれば、

「お前誰」

状態なのである。

ここがもし、私の亡き祖父母やご先祖様の眠るお墓であったり、または親類でなくとも観光で訪れた戦国武将のお墓であれば手を合わせていたであろう。

しかしここは、出会って1ヶ月の付き合ってもいない男性のご母堂のお墓なのである。無理である。むしろ中途半端に手を合わせて声をかけるなどできなかった。

なぜなら

「お前誰」

状態なのだから。

手を合わせ終えた彼が立ち上がり、またもう一度息を吐いた。

「お話できた?すっきりした?」 

無邪気な女を装うしか術のない私はそう彼に声をかけた。

「う~、うん!良かった!」

彼の晴れやかな笑顔を見てほっとした。行きより元気になった彼と駅とは逆方向に足を進め、県道に出た。

その日はそのまま道の駅で軽くご飯を食べ、バスに乗って山梨市駅まで向かった。帰りの特急では彼は眠ってしまい、私は車窓の外を眺めていた。

そこから次に会えたのは新年が明けてからであった。その日は都内の神社に初詣に出掛けた。1月3日のことであった。

1月5日夜、突如電話が鳴り、出てみると酔った彼からの連絡だった。恋愛モードに入っている私は相手の電話を喜ぶ健気な女としてその日の通話を終えた。

翌日、酔っていた相手に二日酔いは大丈夫かとメールを送信。

その日を境に、彼との連絡は途絶えたのだった――――

さて、ミステリーやサスペンスであれば、主人公である私が彼を探しだし、事件に巻き込まれていくことだろう。

しかし、現実にはそうはならず、急に連絡の途絶えた相手にただ呆然とし、なにかあったのではと心配し、相手から遊び相手として切られたのだと理解するほかなかった。

私は彼のLINEのアカウントしか知らず、住んでいる家も知らなかったのだ。

後日冷静に考えたとき、「もしや既婚者だったのでは、、?」と思い立った。恋愛ドラマが不倫離婚泥沼法廷ミステリーにならずに済んだとホッとした。

では彼はなにがしたかったのか。おそらく、本当に同行者が欲しかったのでは、と思う。

お墓参りに向かう道中、彼は口数が少なかった。機嫌でも悪いのだろうかと心配したが、「緊張する~~」と笑いながら言う彼の手は、少し震えていた。寒さではなかったと思う。

その震えを見たとき、誘われた頃からうっすら感じていたことが確信に変わった。

この人は本当に一人では来られなかったのだ、と。

私が出会って一ヶ月の男のお墓参りに付いていった理由の九分五厘は、もちろんネタのためである。しかし、残りは、彼の「特別ではない″特別な誰か"」になれるのではと考えたのだ。

恋は盲目というけれど、私は間違いなく当て嵌まる。余程危険であったり危害を加えられない限り、とことん相手の心情を「わかるわかる」と受け入れてしまうのである。

お墓参りの話をされたとき、なぜ私を誘うのかと疑問に思ったが、同時に「私だから」誘ったのだろうとも思った。

友達でもない、家族でもない、でも全く知らない人間でもない、そんなひとに付いていて欲しい時が、きっとあるのだ。

特別な思い入れもないひとだからこそ、自身の特別な時間に存在して欲しいときがある。

彼の強がった笑い声を聞いたとき、そんなことを思った。

と、このようにこの珍体験を無理やり綺麗な涙のエピソードに修正してしまうことも可能だった。本屋大賞ノミネート涙なしには読めない「無人駅から~山梨の彼がくれたもの~」にしてしまうこともできたのだが、そうはいかない。

何故なら、私は「おもしろエピソード」が好きなのである。

そう、彼はきっと

妖精だったのだ。

もしくは山梨の墓守だった可能性もある。私はこう結論づけた。恋に飢えた25歳女が26歳を迎える目前に、妖精が舞い降り恋愛体験をさせてくれたのだ。山梨県の妖精が。

でなければ説明がつかないのだ。一ヶ月前に出会った女と年の瀬に母親の墓参り行く理由が。そのあと突如として消える理由が。

いまのところ友人たちに話しても、合コンで披露してもすべり知らずのネタである。

突如連絡を切られ傷ついた面もあるが、一生もののネタをくれた彼には感謝している。

いまもどこかにふらりと舞い降りていることを願う。

私は「おもしろエピソード」が好きだ。私のくだらない「おもしろエピソード」を、友人たちが笑ってくれるから。

このエピソードはいま、友人たちの笑い声とセットなのである。辛い経験も、友人たちが話しに付き合い、笑ってくれると綺麗に消化することができる。

この稚拙な文読んでくれた方も、クスりとしていてくれるとありがたい。

これはいつでもくだらない話に耳を傾けてくれる、友人たちの愛と、そのことへの感謝を込めて、ここに綴った。 

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