見出し画像

うごくちゃんのこと

私はうごくちゃんのことを知らない。
どうやら特定の界隈で有名な人が亡くなったらしい。
彼女はYouTubeでゲーム実況をする動画をあげていてそれが人気らしいのだが。
Twitterで話題にあがっていたので彼女の動画を見てみることにした。

ある動画を見たところ既にコメント欄は冥福を祈るメッセージで溢れていた。
彼女の動画の視聴者は彼女の死を受け止められていない様子で混乱していた。
その動画自体は、彼女自身生きる理由が分からなくなって悩んでいるような内容だった。
動画内で彼女は、話している内容こそ苦しいものだが明るく振る舞っている様子だった。
そんな彼女を楽しく視聴する者もいればやはり心配する声もコメント欄には多かった。

そんな中一つのコメントに目が止まった。
それは、生きる理由がないからこそ自由に生きられるという内容のコメント。
コメント自体はこんなにも単純なものではなかったが内容はそんなところだ。
最初ありきたりなコメントだと思った。
自由に生きることが辛いと言っているのにどういう意味だ?と。
しかし何度かそのコメントを読み直して腑に落ちたのだ。

生きる理由が決められていたら、それはつらいことだと思うのだ。
自分自身も生きる理由を考えることは少なくないのだが、生きる理由が与えられたところで私は満足するのだろうか?
その理由のために私は毎日を生きていかなければならないと考えると、
つらい。
その生きる理由に対して向き合わなければならないし、なんらかの努力をしなければならないかもしれない。
ゾッとした。
そんな誰が決めたかもわからない理由のために私は生きていかなければならないのか。

自由に生きればいいのだ。
そのために生きる理由などないのだ。
学校や仕事、人間関係など生きている中で悩むことは多い。
それでも私たちは自分の好きなように人生の物語を創作していく権利があるのだ。
自分が生きていると思えないのであれば
人は自由に生きる権利があるのだと改めて考えることが必要だ。
それが私たちが生きている理由を考える時に、気づかないけれど根源にあることだと思うから。

生きることに悩む私にこの一つのコメントを見つけさせてくれてありがとう。
うごくちゃんはもういないのだけれど。
うごくちゃんを知るには遅すぎたのだけれど。
うごくちゃんは確かに存在していた。
その事実は私の中で消えないのだった。

#うごくちゃん #人生 #エッセイ #日記  

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?