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対話とは、まちづくりの中で連綿と受け継がれる言葉を生み出すもの

いま、とある公共施設の検討に関わらせてもらっているが、あらためて地域の公共施設は対話的プロセスの上で検討されるべきものだと思う。


行政的には、対話なんかせずに、一部の限られた関係者で検討した方が楽だし、思い通りのものを作ることができるのかもしれないが、それでは、あまりにも失うものが大きい。施設への愛着が生まれなかったり、行政に対する不信感・無関心が増すということだけでなく、何より、地域の人たちが地域のことを自ら考える機会(学習の機会)を奪ってしまう。


対話とは、ある施設を検討するためだけのものではなくて、今後も続いていくまちづくりの中で連綿と受け継がれる言葉を生み出すものだと思う。対話を短期的視点で捉えずに、長期的な時間軸で捉えることによって、地域はより豊かなものになる。それこそが、民間とは異なる時間軸で思考すべき行政のスタンスではないかと思う。


いまお手伝いをさせていただいている行政職員のみなさんからは、公共施設の検討を開かれた形で対話をしながら進めていくべきだという覚悟を感じる。
その覚悟は、公共施設を良いものにするだけでなく、その地域の未来に大切な財産を残すことになるのだと思う。


「専門家は常に、おのれは民主主義社会と共和政府の主人ではなく僕であるということを肝に銘じておかなければならない。一方、主人となるべき市民は、みずから学ぶのはもちろんのこと、自分の国の運営に関わりつづける公徳心のようなものを身につける必要がある」
(出典:トム・ニコルズ「専門知は、もういらないのかー無知礼賛と民主主義」)

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