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好きなら知りたい?

『自分が未体験の事柄について湧き出る感情を知りたい』

『なんであの動物は悪役ばかりなんだろう』

眼鏡をかけている人が垢抜けないとされるのはなぜだろう』

とか……普段そんなことに対しての好奇心は、とても強い。

しかし、自分が好きなモノについて知りたいという気持ちがあまり湧かないのである。

大好きな某アーティストのファンクラブに入っているものの、プライベートな事柄も書かれているような会員限定コンテンツの文章はあまり読む気にならない。

好きが壊れてしまいそうな気がする。

もちろんそのアーティストのテレビ出演など情報が出れば、小躍りしながら観るし時には号泣するほどには好きなのである。

他にも好きなアーティストのいわゆるファンミというやつに一度だけ踏み入れたことがある。他のファンたちの熱量に圧倒された。自分はこのアーティストのどこが好きなんだっけ。でも感覚だけで好きでいたらダメなのか?詳しくなきゃいけないのか?ずっと目で追わなきゃだめ?などと自問自答し続けた。
アーティストへの質問コーナーがあったが全く浮かばず…苦し紛れの質問をしただけであった。

何なら好きなバンドのベースとギターがどちらなのか、区別がつかないレベルの時もあった。

まぁこれに関しては、元々エレベーターとエスカレーターの名称、どっちがどっちなのか分からなくなったりする脳構造をしている人間なので仕方がないとは思う。

しかし他人から間違えを指摘され、とても気まずかったしニワカだと思われただろう。

知らないとニワカというなら、私が好きと定義するものたちの9割においてニワカだ。

私は好きな人間たちが発信してくれるものでも、とてもフラットな目線で見てしまう。

好きフィルターがあまりかからず、笑顔で見ているとは思うのだが…不幸なニュースを見ている時と同じ思考回路で見てしまう。いちいち意図を探ってしまったり、嫌なものは嫌だなと思いながら見る。

そんな自分に嫌気がさしたりもする。あと、あちらこちらに関心が向く性分なので…飽きてしまうのがとても怖い。

一度、宝箱に入れたものを早々嫌いになることはないし、ずっとお気に入りではあるが、宝物毎に流行りをローテーションしている。

最近出会った推しに対しては、珍しくコンテンツを網羅したい。知りたいという気持ちがとても強い。

とても自分が怖い。でも何というか嬉しさもある。やっと自分が知っても良いと思える推しができた。

今まで推しに対する感情しか語れないことが多かったが、人生初かもしれない語れる推しの誕生である。

しかし今まで同様フラットなのか、穿っているのかよく分からない見方は健在である。

たまには左脳を捨て、右脳だけで見てみようじゃないか。

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